8月革命説と”変節学者”宮澤俊義|もはや法理ではなく政治的主張

憲法
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日本国憲法を有効と説明した「8月革命説」は、自己保身に駆られた戦後憲法学者の第一人者、宮澤俊義の”変節”によるものと厳しく批判されます。

宮澤は当初、憲法改正(明治憲法から日本国憲法へ)などありえないと主張しておきながら、占領軍による公職追放や投獄の恐怖から態度を変節しました。

その”変節”の人、宮澤が苦し紛れに提唱した「8月革命説」。

今でこそ積極的な支持をさすがに見せなくなりました。

が、いまだに有効論を採用する日本の多数の憲法学者や公民教科書などでは”やんわり”と支持する姿勢を見せております。

そもそも日本に積極的な有効論を説く憲法学者は存在しません。

無効論者に対して法的に反論することもなく、今げんざい現行憲法が機能しているのであるからそれでいいではないか、とやんわりと有効性を主張するような姿勢を採ります(以下、やんわり有効論者)。

ただ”やんわり有効論者”の一人である高橋和之が、この8月革命説を「日本国憲法の成立を法学的に説明する法理」と述べております(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第3版』2013年/有斐閣、43頁)。

提唱者の宮澤自身は”法理”とまで考えていたのかはともかく、この主張には非常に疑問符が付きます。

また8月革命説と表裏一体となっているのがポツダム宣言の解釈です。今回はこの2点を中心に、”やんわり有効論者”の主張を今一度考えていきたいと思います。

ポツダム宣言は憲法改正を要求しているのか!?

当時は検閲も明治憲法改正も誰も予想していなかった

ポツダム宣言ですが、これは日本が45年8月14日に署名した受け入れた連合国側の要求を書き連ねた、国際条約の一つです。

国際条約ですから一方の当事国である連合国側もこの国際条約を遵守する義務が発生します。

ポツダム宣言第13項においても、この宣言を受け入れるか否かは”日本政府の誠意”によるとあり、強制ではなく日本側の意思により条約締結がなされるというものでした。

このポツダム宣言にて日本側が達成しなくてはいけないことは、

①世界征服を行おうとした軍国主義者の追放②日本国軍隊の完全武装解除とその戦争遂行能力の破砕③対外領土放棄④戦争犯罪人の処罰⑤民主主義的傾向の復活強化⑥実物賠償を含む賠償金の支払いと再軍備のための産業禁止、以上の6点でした。

これを受け入れた時点では、誰もが検閲をされるなど想定しておりませんでしたし、まさか明治憲法の改正までしなくてはいけないと考えていた者などおりませんでした。

当時貴族院議員であった宮澤俊義や美濃部達吉など憲法学者も当初そう考えておりました。憲法改正の不要を唱えていたのです。

明治憲法改正要求はGHQの単なる国際法違反

ですが、GHQ側は明治憲法改正を要求し、ポツダム宣言での日本側の義務以上のことを求めてきたのです。

検閲もそうですが、GHQ側の明らかな国際条約違反です。この点に関して有効論者はどのように主張しているのかというと、

ポツダム宣言第12項は、国民意思による平和的政府の樹立/国民主権原理の採用を要求していたので、明治憲法改正はやむをえなかったと説明しております。

また第10項の民主主義的傾向の復活強化とは、明治憲法の改正が必要だったという説明です。第12項を以下に記載いたします。

12 前記諸目的が達成され、かつ日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直に日本国より撤収せらるべし

この第12項にそこまでの意味を見出すのは明らかに不可能です。これは占領する上で、いつ撤収するのかを明示的に記載したもので、日本側の義務に関しては”前記諸目的”がその部分にあたります。

ましてや、”日本国民の自由に表明せる意思”とあるにもかかわらず、それを要求することができるというのは、それは果たして自由に表明せる意思と言えるのでしょうか?

この宣言を受け入れた当時の憲法学者宮澤や美濃部、日本政府側の人間は誰もが”連合国にそのようなことを要求する権利などない”と考えていたのです。

しかしながら、戦後日本で”やんわり有効論者”は第12項にそのような義務が存在すると主張するのです。

生命の恐怖に晒された宮沢の変節と8月革命説

ここで疑問なのは、当初憲法改正など不要であるとポツダム宣言を正しく理解していた宮澤が、その態度をいつ変節したのかということ。

それに、宮澤が主張する8月革命説の中身だと思います。

日本全国がGHQの強制収容所に|宮澤が変節した背景

私は断じて宮澤をかばうわけではありません。しかし、宮澤が変節を遂げた背景に触れないわけにはいきません。

当時の日本は占領下にあり、GHQは東京裁判をはじめ戦犯狩りを行い、帝国議会議員や政府関係者、日本軍人などはその恐怖のなかを占領中過ごしておりました。

46年1月4日に出されたGHQの公職追放により、まず8割もの衆議院議員が追放され、4月の総選挙への出馬資格も失ってしまう。

総選挙後も、議員追放は行われ、7月中旬までに大物議員を中心とした20名近くの衆議院議員と169名の貴族院議員が追放されます。

東京裁判という”勝てば官軍”といった戦犯裁判も同時進行し、彼ら議員の中には自分たちもいつ議員を追放され、裁判にかけられ死罪に問われるか分からない。生命線を常にGHQ側に握られた上での”自由な審議”しか行えないわけです。

宮澤もその恐怖が勝り「このままGHQ側に逆らうようなことを発言していれば…」という心理状況になったのは理解できなくもない。

宮澤は学者としての矜持を捨てて自分の命を守るという選択をしたのです。

※当時の憲法学者の中には、元枢密院議長であり憲法学者でもあった清水澄博士の抗議の意味を込めた入水自殺など、立派な方もおられたことを記載しておきます。

そこで宮澤が考えたのは、8月革命説でした。

苦し紛れの宮澤俊義の「8月革命説」

欽定憲法である明治憲法から、国民主権による民定憲法である現行憲法への改正は理論的に無理がある。

が、ポツダム宣言第12項は日本側に国民主権を採用した憲法制定の要求を含んでいたのであり、

ポツダム宣言を受け入れた時点(8月の時点)で、そこに「法学的な革命」が生じ、憲法制定権が君主から国民へと移ったのだと。

明治憲法の改正という形式にしたのは、”混乱を防ぐための便宜的措置”でしかなく、それはつじつまが合わないわけではないのだと。

これが宮澤が提唱した「8月革命説」です。

このポツダム宣言に国民主権というのも、もちろん宮澤が考えた言葉ではなく、GHQ側が「国民主権」という言葉を現行憲法に入れろと要求したのが経緯です。

戦後占領が始まり憲法改正作業を要求されてから、国民主権というビッグワードが登場したのです。

ポツダム宣言に国民主権が~というのは、実はまったく後付けの説明といえるでしょう。

しかし、一度嘘をつけばまた嘘をつき通さなくてはいけなくなるのは、皆さんも幼少期の頃から経験してきたことだと思います。

積み重ねられる虚偽の物語|議会での自由な審議・修正という嘘

まず一度、なんの先入観もなく下記に記載する文章を読んでみてください。1分ほどで読み終えるかと思います。

こんどの新しい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この国民ぜんたいの意見を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行われ、あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、国民ぜんたいでつくったということになるのです

※戦後最初に日本の教科書が現行憲法の成立について記した、昭和23年度中学校社会科第1学年用教科書、文部省著作『あたらしい憲法のはなし』の3~4頁に上記の記載があります。

きわめて”異様”な記述で、当時占領下の日本で作られた教科書が、いかに奴隷の言葉で記載されているのかを後世に伝えてくれる傑作と言えるかもしれません。

アメリカ側がどれほど新憲法制定に対し神経をとがらせていたのか、その断片も読み取れるのではないでしょうか。

あたらしい憲法は日本国民がじぶんでつくったもの、、は絶対に必要!?

占領下日本ではGHQの検閲が行われ(民間検閲支隊CCDが担当)、現行憲法とその成立過程に対する批判は、連合国軍批判とともに禁止対象となっておりました。

当然議会での審議・修正も常にGHQが管理・監督し、その意向には全く逆らえませんでした。

当時共産党の議員のみが、いわゆる”敵の敵は味方である”として、唯一自由な発言を特別に許されており、戦後米軍側からもマッカーサーはじめGHQは「日本を共産主義化する意図があったのでは?」と疑われているくらいです。

とは言っても、GHQが指示した現行憲法の内容を変えるほどの力は当然ありませんでしたが。

※彼らは現行憲法を採択する決議において、ゆいいつ反対票を投じております。その理由は、軍事力を放棄し、連合国の保護国になろうとする憲法などありえないからです。

しかし、この”国民ぜんたいで自由につくりました”という虚偽は、宮沢の8月革命説にとって絶対に必要でした。

もしGHQが憲法案を作成し、日本政府に押し付けたとしても、その後議会で自由に審議・修正が出来るのであれば、それは日本国民があくまでも選択肢の一つとして与えられたGHQ案を、自分たち自らの選択で選んだという説明が出来るわけです。

なので、これは国民主権による民定憲法として正しく有効に成り立つものであると主張できるわけです。

議会で自由な審議・修正が行えたと虚偽を重ねていく宮澤

ポツダム宣言のこじつけ解釈、、、、、、、、、、、、、により自己保身をはかった宮澤は、その後、『議会で自由な審議・修正が行えた』と虚偽を重ねていくことになります。

もしこの自由な審議・修正が成立しなければ、民定憲法としての現行憲法がおよそ成り立たなくなります。その憲法前文に記載されたことなども全くつじつまが合わなくなってしまうし、ともかく非常に困るわけです。

その後、宮沢の弟子らは憲法学のテキストで”自由な議会審議・修正が行えた”と虚偽の記載をし、

また小中学校の公民教科書や歴史教科書も、昭和23年度に出版された「あたらしい憲法のはなし」と同様に虚偽の物語を書き連ねていくことになります。

学会は非常に狭い世界なので、そういうことは当然起こり得るだろうとは予想されます。

が、公定の教科書の記述も現行憲法の成立過程をごまかした記載をしております。

さすがに”変節学者”宮澤一人にここまで責任を負わせるのは間違いでしょう。なぜ真実の成立過程を記載しないのか??

行政府・司法府も日本国憲法成立のいかがわしさを隠蔽するという姿勢

例えば、扶桑社の『新しい公民教科書』平成18年度版の申請本は、次のような記述をして検定過程で削除を余儀なくされました。

「政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し、改正案として帝国議会に提出した。審議は4カ月におよんだが、修正点についてはすべて連合国軍の許可と承認が必要とされた」

「戦争に勝った国が負けた国の法を変えさせることは、国際法によって禁止されている。加えて、日本国民が自分の意見を自由に表明できない占領中に、日本国憲法が制定されたという事実などが、憲法をめぐる論議のもととなっている」

これらの記述は検定で全部削除です。

憲法無効論を主張する小山常実は「基本的には日本側が自主的に作った有効憲法に作り替えんとするために、国家ぐるみで歴史偽装しているのである」と述べております(小山常実『憲法無効論とは何か』2006年/展転社)。

日本政府もげんざい現行憲法を無効であるなどと認識しておらず、当然司法府である最高裁も現行憲法を自国の最高法規として、その世界観や思想に判例などでも賛意を示しております。

もしその成立過程を正しく記載すると、必然的に国民の中から無効論を主張されるのは間違いがないでしょう。その政治的インパクトを処理しきれる自信がないということでしょうか。

まとめ:法理とは言えない虚偽の上に虚偽を重ねた8月革命説

結論として、”変節学者”宮澤俊義が提唱した「8月革命説」はポツダム宣言(国際条約)のこじつけ解釈、、、、、、に始まり、法的安定性を柱とする法学的理論に対し「革命」を結び付けたトンデモ理論。

GHQによる検閲含む言論統制下の中で自由な議会での審議・修正など行えなかったが、日本国憲法を”日本国民ぜんたいでじぶんたちで自由に作った”とまた虚偽を重ねてしまう。8月革命説は虚偽の上に虚偽を重ねた、およそ成り立たないもの。

以上、”やんわり有効論者”の8月革命説に基づく有効論となります。

宮澤の弟子である高橋和之はこれを「法理」と言いますが、実のところ、極めて「政治的なもの」です。

日本政府をはじめとして、日本国憲法成立過程を正しく理解し、一刻も早く日本国憲法憲法を無効とし、この国が正しい道を歩むことを切に願います(了)。

※有効論VS無効論の番外編として、現行憲法と旧憲法の中身の比較も行っております。ぜひお読みください。

60秒で読める!この記事の要約!(お忙しい方はここだけ)

要約
  • 8月革命説と表裏一体をなしているのがポツダム宣言である。そのポツダム宣言に関し、当時宮澤含めた誰もが憲法改正要求が込められているなど考えてもいなかった
  • その後、東京裁判など戦犯狩りの恐怖に直面した宮澤が、GHQ側の要求に応えるべく生み出したのが8月革命説。ポツダム宣言第12項に国民主権採用の意義を見出し、その受諾後に憲法制定権が君主から国民に移行したのだと説明した
  • しかし、それでも議会による自由な審議・修正が行われる必要があり、それなくば国民主権による民定憲法などと言えなくなってしまう。そこで実際にはGHQの管理・監督の下に成立した過程を、議会では”自由な議論・修正が行われた”と虚偽を重ねていく
  • 戦後は憲法学会だけではなく、日本政府も検定制度で真実の成立過程を記載した教科書の記述を削除してしまう。国家ぐるみで現行憲法のいかがわしさを覆い隠す道を突き進んでいる

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