8月15日になると、8月6日、9日の原爆投下に対する慰霊と含めて日本全国で慎ましやかな気持ちになります。
もちろん先の大戦で亡くなった方を慰霊するというのはよいことだと思いますが、どうしても気になる点がいくつかあります。
それは「反省」という言葉。
日本では、天皇陛下さえもこの「反省」という表現をしております。
またメディアも少しの疑問も挟まずにそのまま報道しているわけです。
なぜこういう不思議なことをするのか??日本人は一体なにに「反省」をしなければいけないのでしょうか。
合理的に考えて、なにか日本にメリットがあるのか考えてみたいと思います。メリットがあるのであれば続ければいいですし、無意味であるなら止めるべきです。
諸外国はもちろん「反省」など口にしていない現実
戦争犯罪国である米国やロシアの対応
例えば米国は原爆投下や東京大空襲(東京大虐殺)において無辜の市民を何十万人も殺害したことをしっかり戦争犯罪の記憶として「反省」しているのでしょうか?
ロシアは中立宣言を一方的に破棄し、漁夫の利のような状態で樺太や千島列島を日本から奪い、朝鮮や満州から日本へと戻る日本の一般市民に対して襲い掛かりました。
そこで強姦や強盗など大量の戦争犯罪を犯しました。
日本が日露戦争で捕虜にしたロシア人兵士を国際人道法にならい、国のために戦った一個人として敬意をもって遇したのに対し、
彼らロシアは日本兵に対して死ぬまで強制労働をさせるというおよそ人道とは程遠い扱いをしました。
そのロシアはこの戦争に関して「反省」をしたのでしょうか?
日本人大虐殺事件をしたChinaの対応
Chinaは当時通州事件のような日本人大虐殺事件を起こし、それに対して日本政府が無策であったために現地の駐留軍が暴走をしたという背景があります。
当時では海外に住む本国人が組織的に殺害されたり、その生命・安全に危機が迫った時、その現地の国が全く無策であり何も助けない場合、
自国が軍隊を派遣して救出に行くことは当たり前のことでした。現在の国際法上でもそれは否定されておりません。
ですから、日本がChinaを侵略したと誤解している日本人が多いのですが、まったく侵略ではなく、当たり前の出兵だったと言えるでしょう。
Chinaは当時の国民党政府から共産党政府に政権が変わりましたが、これら虐殺事件に対して日本国になにか「反省」はしたのでしょうか?
日本人が戦後「反省」を表明する4つの理由
戦後日本人は不思議な贖罪意識を持ち始めた(1つ目の理由)
なぜ日本では、天皇陛下でさえも「反省」という言葉を口にするのでしょうか?
1つ目と2つ目の理由は、第2次世界大戦で日本は諸外国を「侵略」した悪い国であると、戦後日本で公的に政府自身が訴えていることに起因します。
そのため国民やメディアも同様な姿勢を持つことが正しいと刷り込まれていることです。
各国の戦争犯罪を考えても、日本のみが悪いとみなすのはまったくの誤りでしょう。
日本が戦争で敗戦し、極東裁判などのデタラメ裁判により日本人のみが戦争犯罪人として一方的に裁かれたこと、
戦後日本政府の国際外交における愚かな追認行為により、まったく日本の国際的な立場が回復されていないこと等が大きく影響しているのかもしれません。
愚かな追認行為とは、例えば日中共同声明において”日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し深く反省する”とい表現によく表れています。
1952年の日華平和条約や65年の日韓基本条約ではこのような「反省」という不思議な言葉は出てきませんでした。
60年代半ばまではあまり「反省」していなかった日本
なぜ国際的な外交文書で急に「反省」という言葉が出始めたのか??
考えられるのは、占領期間中に占領軍が行ったWGIP(日本人に戦争での贖罪意識を植え込めるための情報プログラム)の効果が日本人に出始めたことが一つ。
これに関して面白いエピソードは1つあります。当時はネットもテレビもありませんので、唯一大衆映画こそが日本の庶民の娯楽でした。
その映画の脚本を占領軍は自分たちで作り、戦争への贖罪意識を植え付けるようなセリフを役者に言わせたわけです。
その映画で役者が言ったセリフを、60~70年代の学生闘争で反日教育にかぶれた大学生がそっくりそのまま使用しているのです。
彼ら大学生がなんでいきなりこんな変なことを言い出したのかと調べれば、占領期間中に放映された映画にそれと同じ言葉が出てくる。
それほど影響力があったということです。
当時の大学生諸君は自分で考えたかのように思っていたのでしょうが、それは占領軍が作った映画の役者のセリフに原点があるんです。(①日本人が戦後不思議な贖罪意識を持ち始めたこと)
国民の命よりも国交正常化を優先する外務省のゆがんだ姿勢(2つ目の理由)
2つ目の理由は、現在の対北朝鮮外交を見ても分かる通り、日本の外務省の歪んだ姿勢です。
まともな軍事力もない戦後日本では当然外交力など持ちえません。そんな彼らが目指したのは、諸外国との国交回復(国交正常化)です。
国交など開いても閉じてもどっちでもいいと考えるのが普通なのですが、
日本の外務省と言う組織は海外に住む日本人の安全よりも、国交回復を血眼になって目指すというおかしな性質を持っております。
ですから、国交正常化がなされるのであれば、あらゆるデメリットを受け入れるという姿勢、
それが「反省」という本来であればあり得ない語句を外交文書に記載するという過ちを犯したのでしょう。
これは戦後外務省の大失態です。諸外国に対して「反省」するとしたことこそ最大の反省なのです。こんなことをしては諸外国での日本の立場は弱くなります。(②外務省の組織的な過ち)
よって、戦後日本人の「反省」はここまで2つ。WGIPにより日本人自身が不思議な贖罪意識を持ち始めたこと、国交正常化を推し進めるべくやたら「反省」という言葉を外交文書に書き連ねるようになった外務省の組織的な欠陥。
他にもあと2つあります。
政治家のリベート狙いのための反省(3つ目の理由)
国交正常化をする際に、日本側が反省を表明することのメリットがあります。
まず「反省するなら金をくれ」という賠償金やお詫び金を相手国よりせびられます。
その際にリベートとして支払った金額の数パーセントを交渉を取り持った日本の政治家が自らの懐に入れる。
実際に東南アジア諸国との国交正常化の際にも、実際にそのリベートで懐を潤した政治家が何人もいたと言われております。
最近では日朝平壌宣言もこの「反省」や「お詫び」という表現を書き入れ、その後の賠償金でのリベートを狙ったのではないのか。
つまり、賠償金からのリベート狙いのために、自分の私利私欲を充たすために日本と言う国家に「反省」をさせる。
特に自民党の政治家に当てはまりますが、とことんまで政治腐敗をしている。彼らは腐っていると言えるでしょう。(③政治家のリベート狙いのための「反省」)
日本人の戦争回避のためのポージング(4つ目の理由)
日本がこの8月に毎年こぞって「反省」をする理由はまったくろくでもないものばかりだというのがよく分かりました。
最後に、日本人が反省をする理由として少しは合理的なものをあげましょう。
それは、日本人は先の大戦で侵略戦争をしたと認め、心から反省しているという姿勢を国際社会に見せることで、国際社会に対して良い国であると信頼してもらえる。
その信頼は諸国と日本との戦争を遠ざけるのではないか?
そんな風に考えている日本人は結構多いのではありませんか。
つまり、日本は諸外国に歯向かわない。
ファイティングポーズを取らずに、日本は侵略戦争をして、諸外国は正義の戦争をしたという「物語」を心から信じている。だから、私達はあなた方外国人の味方なのだ。
そんな風に主張したいのではないでしょうか。(④日本人の戦争回避のためのポージング)
不安で仕方がないので「反省」する日本人
日本人は本心では不安で不安で仕方がないのだと思います。
日本は現在非常に無力な状態と化しています。
”日本から諸外国を守る”というテーゼのもとに起草された、日本を徹底的に弱体化させ諸外国の支配下に置くという日本国憲法で無力化されています。
一方で、諸外国はそうではない。先の大戦のように日本に戦争を仕掛けることが出来る。
ですから、必死で自分たちは友好国であると宣言しなくては、そう主張して見せなくては心配で心配で仕方がないのだと思います。
日本人が第二次世界大戦と言う先の大戦を、日本が侵略し、諸外国が正義の戦争をしたとかたくなに信じるのもそこに理由があります。
もしそうではなかったとしたら、本当は諸外国が戦争を日本に仕掛けてきたということであれば、いくら日本人が「反省」を口にして善人ぶっても意味がないということになるでしょう。
もし日本が侵略戦争をしていないとなれば、現在、日本国憲法のもとで作られたあまりに脆弱な日本のセキュリティシステムではまったくダメだということになってしまいます。
まとめ:日本人はまったく「反省」などしていなかった
結論として、日本人が8月15日に反省するのは非合理的なものばかりで、反省を功利的に利用しているのは否定できないでしょう。
そもそも半世紀以上前の戦争に対して、当事者でない私たちが反省するなどおよそ不可能であるともいえます。
反省とは感情の一つですが、現在の日本国民は先の大戦に対して反省するのではなく、無防備状態でいることの不安という感情のほうが強いと思います。
一世代前の戦争(昔の人)よりも、今を生きる自分たちの感情にこそ実感を持てるということです。
最後に4つ目の理由に対して補足すると、戦争というのは国家のパワーバランス(軍事力)が崩れたときにおこるものです。
最近では核兵器が冷戦下での大国間での戦争可能性を減少させた、つまり一方が戦争を仕掛けて核戦争に発展すれば双方ともに滅びてしまう。それが抑止力となって、戦争を回避させたのだと。
戦争を避ける上で、その国の国民が良心的であるか否かというのはまったく関係がありません。
しかし、何と言いますか、、日本人はその点になにかを懸けているんでしょうか?
神風信仰よりもさらにタチが悪い。そんな不確かなものに懸けざるを得なかったとでもいうのか?あまりにも非合理的な思考だと言わざるを得ません。
相手の善意に訴えて自分たちの生存を確かなものにするというのは、自助の原則(セルフヘルプ)こそが最大の掟である国際社会で最悪の選択です。
自ら救うものこそが救われる。国内社会でさえ勉強し、良い大学に入り、また良い企業に入ろうとする。医者や弁護士など厳しい試験のために勉強し、ライバルに競り勝って合格を手にしてその職業を得る。自分の努力こそが道を切り開くのです。
それが国際社会でもまったく同じであることを、一刻でも早く日本人は悟らなくてはいけないでしょう(了)。
※日本が無防備状態になっていることの問題点はぜひ次の記事をご参照ください。
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