終戦の日、お盆と重なるこの時期は、日本全国で戦争犠牲者を追悼する日でもあります。
犠牲者を慰霊することはもちろん大切なことです。
しかし、気になるのは日本人がよく口にする「反省」という言葉です。
日本では、天皇陛下さえもこの「反省」という表現をしております。 終戦76年、不戦誓う 天皇陛下、今年も「深い反省」―追悼式、2年連続縮小
またメディアも少しの疑問も挟まずにそのまま報道しているわけです。
なぜこういう不思議なことをするのでしょうか。日本人は一体、「何」に対して「反省」をしなければいけないのでしょうか。
深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う
こちらは、天皇陛下のお言葉ですが、民間人大虐殺などの戦争犯罪を犯し、原爆投下というジェノサイドまで犯した犯人は米国です。
米国に戦争犯罪に対し謝罪および反省を求めるのであれば、話はよくわかるのですが。
合理的に、なにかこの「反省」という行為に対し、日本にメリットがあるのか考えてみたいと思います。メリットがあるのであれば続ければいいですし、無意味であるなら止めるべきです。
※こちらの記事は、政治初心者の方、選挙権を得た新成人の方向けの記事です。当たり前になっている「日本は先の大戦で反省すべし」という言葉に疑問を感じている方もぜひお読みください。反省する理由、背景など丁寧に解説しております。
諸外国は「反省」など、間違っても口にしない・・・
たとえば、米国は原爆投下や東京大空襲(東京大虐殺)において無辜の市民を何十万人も殺害しました。ですが、戦争犯罪という認識すらありません。
また、ロシア(当時・ソ連)は中立宣言を一方的に破棄し、漁夫の利のような状態で樺太や千島列島を日本から奪いとり、
朝鮮や満州から日本へと戻る日本の一般市民に対して襲い掛かりました。
そこでロシア兵は強姦や強盗など大量の戦争犯罪を犯しました。
日本が日露戦争で捕虜にしたロシア人兵士を国際人道法にならい、国のために戦った一個人として敬意をもって遇したのに対し、
ロシアは、日本兵に対して死ぬまで強制労働をさせるというおよそ人道とはほど遠い扱いをしました。もちろん、ロシアも反省などしておりません。
そして、中国は当時通州事件のような日本人大虐殺事件を起こしました。
当時、海外に住む本国人が組織的に殺害されたり、その生命・安全に危機が迫った時、その現地国がまったく無策であり助けない場合、
自国が軍隊を派遣して救出に行くことは当たり前のことでした。現在の国際法上でもそれは否定されておりません。
ですから、日本が中国を侵略したと誤解している日本人が多いのですが、まったく侵略ではなく、当たり前の出兵だったと言えるでしょう。
中国は、これら虐殺事件に対して日本国になにか「反省」はしたのでしょうか?もちろん「反省」などしておりません。
日本人が戦後「反省」を表明する4つの理由
以上、日本以外の諸外国は、原爆投下を含めたジェノサイドすら犯している一方で、まったく反省などしていないのです。
そもそも戦争犯罪という認識すらなく、彼ら現在の大国の国際法、国際人道法を軽視する姿勢がよくわかります。
昔も今も「勝てば官軍」(勝ちさえすれば何もかも許される)という言葉が江戸時代にありましたが、それとまったく変わっていないということです。
では、なぜ日本だけはこのような不思議な現象が起こっているのでしょうか。
戦後日本人が、不思議な贖罪意識を持ち始めたこと(1つ目の理由)
なぜ日本では、天皇陛下でさえも「反省」という言葉を口にするのでしょうか?
理由はいくつもありますが、そのうちの一つは、大戦で日本は外国を「侵略」した悪い国だと、なんと日本政府自身が訴えていることから起こっております。(一つ目の理由)
そのため国民やメディアも同様な姿勢を持つことが正しいと刷り込まれているのです。
各国の戦争犯罪を考えても、日本のみが悪いとみなすのはまったくの誤りでしょう。
日本が戦争で敗戦し、極東裁判などのデタラメ裁判により日本人のみが戦争犯罪人として一方的に裁かれたこと、
戦後日本政府の国際外交における愚かな追認行為により、まったく日本の国際的な立場が回復されていないことなども大きく影響しているのかもしれません。
愚かな追認行為とは、たとえば日中共同声明において
日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し深く反省する
という表現によく表れています。
しかし、1952年の日華平和条約や65年の日韓基本条約ではこのような「反省」という不思議な言葉は出てきませんでした。このときはまだ「反省」をしていなかったのです。
実は1960年代半ばまでは、あまり「反省」していなかった日本!?
なぜ国際的な外交文書でいきなり「反省」という言葉が出始めたのでしょうか?
考えられるのは、占領期間中に占領軍が行ったWGIPの効果が日本人に出始めたことが一つ。
WGIPとは、日本人に戦争での贖罪意識を植え付けるため、占領政府が行った情報プログラムのことです。
これに関して面白いエピソードは1つあります。当時はネットもテレビもありませんので、唯一大衆映画こそが日本の庶民の娯楽でした。
その映画の脚本を占領軍は自分たちで作り、戦争への贖罪意識を日本人に植え付けるセリフを役者に言わせたわけです。
その映画で役者が言ったセリフを、60~70年代の学生闘争で反日教育にかぶれた大学生がそっくりそのまま使用しているのです。
彼ら大学生がなんでいきなりこんな変なことを言い出したのかと調べれば、占領期間中に放映された映画にそれと同じ言葉が出てくるのです。
それほど影響力があったということです。
当時の大学生諸君は自分で考えたかのように思っていたのでしょうが、それは占領軍が作った映画の役者のセリフに原点があるんです。(①日本人が戦後不思議な贖罪意識を持ち始めたこと)
国民の命よりも○○正常化を優先する外務省のゆがんだ姿勢(2つ目の理由)
2つ目の理由は、現在の対北朝鮮外交を見ても分かる通り、日本の外務省の歪んだ姿勢です。
まともな軍事力もない戦後日本では当然外交力など持ちえません。そんな彼らが目指したのは、諸外国との国交回復(国交正常化)です。
国交など開いても閉じてもどっちでもいいと考えるのが普通なのですが、
日本の外務省と言う組織は海外に住む日本人の安全よりも、国交回復をちまなこになって目指すというおかしな性質を持っております。
ですから、国交正常化がなされるのであれば、あらゆるデメリットを受け入れるという姿勢。
それが「反省」という、本来であればあり得ない語句を外交文書に記載するという過ちを犯したのでしょう。
これは戦後外務省の大失態です。諸外国に対して「反省」するとしたことこそ最大の反省なのです。こんなことをしては諸外国での日本の立場は弱くなります。(②外務省の組織的な過ち)
よって、戦後日本人の「反省」はここまで2つ。
WGIPにより日本人自身が不思議な贖罪意識を持ち始めたこと、国交正常化を推し進めるべくやたら「反省」という言葉を外交文書に書き連ねるようになった外務省の組織的な欠陥。
他にもあと2つあります。
政治家のリ○○ト狙いのための反省(3つ目の理由)
国交正常化をする際に、日本側が反省を表明することのメリットがあります。
この際、相手国側から「反省するなら金をくれ」という賠償金をせびられることになります。
そして、リベートとして支払った金額の数パーセントを、交渉を取り持った日本の政治家が自らの懐に入れるのです。
実際に東南アジア諸国との国交正常化の際にも、リベートを何億も受け取った政治家がたくさんいたと言われております。
最近では、日朝平壌宣言もこの「反省」や「お詫び」という表現を書き入れております。もちろん、その後の賠償金でのリベートを狙っているのでしょう。
つまり、賠償金からのリベート狙い、すなわち私欲を充たすために日本と言う国家に「反省」をさせるということです。
特に自民党の政治家に当てはまりますが、この政治腐敗はすさまじいものです。(③政治家のリベート狙いのための「反省」)
日本人の戦争回避のためのポージング(4つ目の理由)
日本が、8月に「反省」する理由は感心するものがひとつもないのです。
最後に、日本人が反省をする理由として少しは「合理的」なものをあげましょう。
それは、日本人は先の大戦で侵略戦争をしたと認め、心から反省しているという姿勢を国際社会に見せることで、国際社会に対し良い国であると信頼してもらえるという考え。
その信頼は諸外国と日本との戦争を遠ざけるのではないか?
そんな風に考えている日本人は結構多いのではありませんか。
つまり、日本は諸外国に歯向かいませんよ、というアピールです。
ファイティングポーズを決して取らず、日本は侵略戦争をし、外国のみなさんは正義の戦争をしたという「物語」を心から信じている。だから、私たち日本人はあなたがた外国人の味方なのだというのです。
そんな風に主張したいのではないでしょうか。(④日本人の戦争回避のためのポージング)
○○で仕方がないので「反省」する日本人・・・
日本人は本心では不安で不安で仕方がないのだと思います。
憲法9条により軍隊を放棄させられ、日本は現在非常に無力な状態です。
「日本から諸外国を守る」というテーゼのもとに起草された日本国憲法。
日本を徹底的に弱体化させ、諸外国の支配下に置くことを目的にした日本国憲法で、
日本の防衛力は完全なまでに無力化されています。
一方、諸外国はそうではありません。いつでも日本に戦争を仕掛けることができます。
ですから、必死で自分たちは友好国であると宣言しなくては、そう主張して見せなくては心配で心配で仕方がないのだと思います。
日本人が先の大戦に対し、日本が侵略し、諸外国が正義の戦争をしたとかたくなに信じるのもそこに理由があります。
もしそうではなかったとしたら、いくら日本人が「反省」を口にして善人ぶっても意味がないということになるでしょう。
もし日本が悪くなければ、現在、日本国憲法のもとで作られた、あまりに脆弱な日本のセキュリティシステムではまったくダメだということになってしまいます。
まとめ
結論として、日本人が8月15日に反省するのは非合理的なものばかりで、「反省」を都合よく利用しているのは否定できないでしょう。
そもそも半世紀以上前の戦争に対して、当事者でない私たちが反省するなどおよそ不可能です。
反省とは感情の一つですが、現在の日本国民は先の大戦に対して反省するのではなく、無防備状態でいることの不安の感情のほうが強いと思います。
一世代前の戦争よりも、今を生きる自分たちの感情にこそ実感を持てるのが当たり前です。
戦争は、国家のパワーバランス(軍事力)が崩れたときにおこるものです。
今でも普遍的な議論ですが、核兵器が冷戦下での大国間での戦争可能性を減少させた。つまり、一方が戦争を仕掛けて核戦争に発展すれば双方ともに滅びてしまう。
核兵器が抑止力となって、大国間での戦争を回避させたという意見です。
ようするに、戦争を避ける上で、その国の国民が良心的であるか否かというのはまったく関係がありません。
しかし、何と言いますか、日本人は人間的な良心というものに、なにかよほど信頼を寄せいているんでしょうか?
これは神風信仰よりもさらにタチが悪いもので、あまりに非合理的な思考だと言わざるをえません。
相手の善意に訴えて自分たちの生存を確保するということは、自助の原則(セルフヘルプ)こそが最大の掟である国際社会で最悪の選択です。
自ら救うものこそが救われるのです。国内社会でさえ勉強し、良い大学に入り、また良い企業に入ろうとします。
そして、医者や弁護士など厳しい試験のために勉強し、ライバルに競り勝って合格を手にしてその職業を得ます。自分の努力こそが、成功への道を切り開くのです。
それが国際社会でもまったく同じであることを、いっこくも早く日本人は悟らなくてはいけないでしょう(了)。
※日本が無防備状態になっていることの問題点は、ぜひこちらもをお読みいただけるとうれしいです。。
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