『孫子』は、紀元前5世紀、春秋時代の中国のおける兵法家・孫武(そんぶ)による著書だと伝えられています。今でも超有名な孫子の兵法書です。概要を説明すると、
中国の春秋・戦国時代(紀元前8世紀~3世紀)において、自分の戦術・戦略家としての能力を売り込み、雇ってもらう。孫武もそのひとりでした。
彼らをまた「兵家(へいか)」とも。いわゆる諸子百家の一つ。
諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。孔子の儒家、墨子の墨家など、思想家たちのこと。孫子よりも、道徳や平和主義を説いた儒家・儒教の方が有名かもしれませんね。
古今東西、常に弱肉強食な国際社会。自国がいかに生き残るのか。それを徹底的に極めた人たちが軍師・将軍として各国を訪ね歩き、仕官先を求めた孫子。
そんな『孫子』から、現代でも生きる名言・至言を抜粋し、解釈を加えながら、今いちど味わいたいと思います。
ぜひ、こちらの記事で紹介されている『孫子』の名言集に目を通していただき、少しでもご参考にしていただければ嬉しい限りです。
※こちらに挙げた名言は、私の独断と偏見でピックアップしていることをお許しください笑。
孫子の兵法には誤りも?? 「戦わずして勝つ」は戦国時代にしか通用しない
『孫子』で一番有名なものは、”彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず”とか、”戦わずして勝つ”でしょう。
私は、これらの主張は完全に間違っていると思います。『孫子』は13篇で構成され、上記に挙げたものは謀攻篇にある文章です。
よく誤解されるのが、孫子の”戦わずして勝つ”ことをもって、「不要な戦争をしない。相手も自分も傷つけないで、自分の利益を手にする」なんてすばらしい!と手放しで絶賛する人が多いこと。
実際は、孫子はそこまで甘い考え方はしていないでしょう。敵を圧倒的な戦力で粉砕し、敵国の兵士に恐怖感を与えることも戦略の一つ。兵糧攻めなどしていては、時間がかかりすぎる場合もある。実際の文章を確認すると、
ゆえに善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも、戦うにあらざるなり。人の城を抜くも、攻むるにあらざるなり
引用元:『孫子』(謀攻篇)
戦わないやり方とは、相手方の将軍や軍団を仲間に引き入れることらしいです。近代国家の正規軍相手にはもはや不可能でしょう。城攻めに関しても、うーんという印象ですね。
戦国時代まで、城攻めは3倍以上の兵力がいるとされていました。
現代と違って、人力が主で、戦術・戦略ミサイルなど火力が充実していなかった時代のこと。こういう点に、現代では通用しなくなった古さがあります。
武力ではなく、頭脳で勝負。こんな愚かな「ロマンティシズム」をすぐに取り出すのは、戦後日本人くらいなもの。
戦争とは、自国兵士と外国兵士の殺し合いです。外国軍の戦闘能力を、こちらの物理的手段で徹底的に破壊する。他国に進軍し、その政治的領土を占領する。これなくしては戦争は終わらない。
外交力など政治的手段で解決できるのであれば、そもそも兵法論など不要でしょう。孫武の”戦わずして勝つ”は、現代では、他国が内戦状態にある場合のみ通用する考え方だと思います。
”彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず”も極端で言い過ぎ。自分のことだってどこまで完全に把握しているのか。戦争は発明の母。技術革新だって戦時中に急速に進む。
彼我の戦力差は、戦い方でいくらでも埋められる。仕官先を求め歩んだ孫子。自分を売り込むための”セールストーク”という部分はやはりありますよね笑。
平時における戦争準備こそ、一番大切である
私が感心したのは、次の文章。
ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、(略)勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ
引用元:『孫子』(軍形篇)
”まず勝ちてしかる後に戦いを求め”とは、「勝利へのロードマップ」を練り上げておくこと。”道を修めて法を保つ”とは、戦える国内環境を整えておくということ。
戦略の重要性は今さらいうまでもありませんが、自国民を適切に処遇し、愛国心を育てることの重要性はさすがと言えるでしょう。
国内環境の整備には、戒厳令を含め軍規など軍事的法整備、また兵器・食料などの兵站もぬかりなく調達できる環境を構築しておくことも挙げられます。
戦後日本のように、潜在的敵国である米国に兵器の供給を依頼しているなど論外。
”まず勝ちてしかる後に戦いを求め”はもちろん理想論です。戦争は一か八かの「賭け」。必ず勝てる戦争などありはしない。少し言いすぎている感もありますが笑。
しかし、戦争を避けるためにも、平時において戦争準備を抜かりなくしておかなくてはいけない。その通りだと思います。戦後日本では、諸外国の善意に自分たちの生存権を丸投げし、戦争準備などまったくしておりません。孫子の考え方と真逆の道を突き進んでいる唯一の国家でしょう。
日本でも『孫子』はすばらしい、と安易に絶賛する方は多い。ならば、戦後日本にもう少し危機感をもってほしいです。
この点に関し、そのまま孫子の文章がありました。意味するところは、敵国の怠慢さに期待するのではなく、自国の攻められないような防衛環境を作っておけ、ということ。
その攻めざるをたのむことなく、吾の攻むべからざるところ有るをたのむなり
引用元:『孫子』(九変篇)
ビジネスにおいても、自社の技術は死んでも守るもの。テレビなんかでも、「企業秘密なので放映できません」と工場の一部を見せないことがありますよね。まったく同じことです。
おわりに:情報収集はもちろん大切だけれども…
戦後日本はスパイ天国だと揶揄されますが、実は『孫子』に用間篇(ようかんへん)といものがあります。「間」とは間者のこと。スパイです。
孫子は間者(スパイ)に5種類、郷間・内間・反間・死間・生間をあげております。
郷間は、敵国の人民を間者にすること。内間は、敵国の官僚を買収。反間は、敵側の間者を寝返らせる。
死間は、でたらめなこと(ニセ情報)を敵国内で広めること。もちろん、その場で捕まり処刑されるリスクが高い。よって死間。生間は、逆に情報を生きて持ってくる。
現代では、スパイ衛星など、敵国の情報収集の手段は広がっています。ハッキングなどで、ネットワーク環境から盗み出すことも。人的資源は、ヒューミントといわれ、もちろん今でも重宝されていますが。
孫子は、間者を重要視しており、
間より親しきはなく、賞は間より厚きはなく、事は間より密なるはなし
引用元:『孫子』(用間篇)
と大絶賛しています。最も信頼される者を登用し、お給料は高くして、極秘に活動させなくてはいけない。
私は「まあ間違ってはいないかな」という印象です笑。
というのは、現代では軍事衛星の情報収集によるところが大きい。オシントなど、公開情報からの情報分析手段も重視されています。ネット環境により情報量が増えたことが背景にあります。
一方、スパイ天国と言われている戦後日本。在日米軍兵士など、フリーパスで日本に入ってくるのです。日本国内にどれだけの米国の情報機関の事務所があるのか。日米地位協定の見直しも必至。
戦後日本で、「スパイは大切だぁ!」と叫んでもまるで説得力がない。敵国の人民を間者に仕立てる郷間ですが、はたして戦後日本にどれだけいるんでしょうか。
愛国心を捨てさるような自虐史観に基づいた教育をし、自国民の生存権を諸外国の生存権より下だとみなした日本国憲法。現代の日本では、反日主義が跋扈し、自ら喜んで国を売るような、無報酬で働く「郷間」がうようよしています。
戦後日本人は本当に『孫子』を読んでいるのでしょうか。孫子が戦後日本をみれば、「これほど私の主張を否定した国民ははじめてみたよ」と驚嘆するのがオチでしょう(了)。
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