改憲派と護憲派の議論に関して感じることは、
日本人同士でなぜこうも議論が噛み合わないのか?という点です。
互いの主張のすべてを否定し合う「無益」な言論空間。
改憲派の主張は、改憲が可能かはさておき、言いたいことはわかります。
憲法9条が日本の軍事的プレゼンスを崩壊させ、自国の安保環境を非常に危うくしている。
その危機感が改憲派の背景にあり、憲法改正要求となっています。
一方、護憲派の主張はよくわかりません。
憲法9条を改正すれば「日本が危険な状況となる」と主張します。
どう危険な状況になるのか、やや説明不足の感じがします。
日本ではなく、日本の軍事プレゼンスの向上が「諸外国を危険にさせる」ということでしょうか。
こちらの記事は、憲法改正における護憲派の主張を掘り下げ、分類分けをしていきます。
なぜ護憲派と改憲派、両者の主張が”日本人VS外国人”のように食い違うのか、護憲派に焦点をあてて答えを探してみたいと思います。
昔の護憲派は、改憲派と同じくらい日本国憲法の本質を理解していた
護憲派、以前は左派とも呼ばれておりました。
左派とは、共産主義・社会主義を信奉し、旧ソ連に日本を差し出そうという信念のもとに存在していた団体です。
ある有名な左派は、
日本国憲法は絶対維持だ。しかし、日本がソ連に占領され社会主義国になった場合は、米国と戦わなくてはいけない。となれば、軍隊を持たねばならないから、この憲法を変えよう!
と正直に「本音」を述べておりました。
日本国憲法は諸外国に対して無防備であることを絶対的命題(テーゼ)としたもの。彼ら左派、現在の護憲派もしっかりと日本国憲法の本質を理解してたわけです。
ですから、日本の安保環境が脆弱になるという改憲派の主張は、一部の護憲派指導者にもよく理解されています。
すなわち、憲法9条の本質的な理解度に関して、護憲派と改憲派に違いはありません。
現在の護憲派3類型|護憲派=左派は時代遅れ!?
現在、社会主義国に対するあこがれを持つ護憲派は皆無でしょう。
この点を踏まえると、いま護憲派は3類型に分かれると思います。
一つめは、少し勘違いしている国際社会観を持つ人たち、
二つめは、誤った自己陶酔主義におぼれて育った戦後世代、
三つめは、「何の覚悟もない」ナイーブで利己的な無抵抗主義者、
以上の3類型です。
勘違いした国際社会観による護憲の主張
一つめの類型、勘違いした国際社会観とはなにか。
他ならぬ日本国憲法が与えた悪影響の産物です。
日本国憲法はその前文で、
国際社会には敵はいない。悪いことをするのは日本人であり、日本人さえおとなしくしておけばこの世界は平和である。戦争も起こらない
という政治的な声明文が記載されています。米軍がつくったものなので、これが日本国憲法の世界観なのは当然です。
しかし、実際の国際社会は国内社会のように警察もおらず、強制管轄権を有した裁判所も存在しておりません。
アナーキー(無秩序)こそ国際社会の特徴であり、現在も強大な軍事力を有した国が常にそのキャスティングボードを握っております。
富を蓄積し、強大な軍事力に変え、自国民を守っていくしか生き残るすべがありません。すなわち、富国強兵です。
にもかかわらず、日本国憲法は、
諸外国に対する不信感を意識して取り除き、警察も司法もない社会で他国の善意を乞い願うという誤った行動を繰り返すことを日本人に奨励しています。
日本さえ軍事力を持たなければ、この国際社会は平和である。戦争は起こらないはずだ、と。
自分の頭の中だけで完結する理想的な世界観
戦争と言うのは仕かけた側が常に悪く、必ず敗北すると夢想的に信じるのもこの人たちの特徴です。
”武器を持つ者は武器により制せられる”
”剣によって立つ者は剣によって滅ぶ”
など。自分たちにとって都合の良い格言を小気味よく並べ立てて、自分の頭の中だけで思考を完結する。
過去の歴史を見ればこの勘違いはすぐに気づけます。
近代的兵力を持たなかった国。あるいは、その準備をしなかった国は西洋列強諸国より徹底的に搾取され、奴隷として牛馬のごとく働かされました。
武器を持たない国が繁栄する世界などありえません。常に他国からの侵略に備え、軍事力を整備・発展した国がその寿命を長くしてきました。
永遠に栄える国はありえません。しかし、武器を持たなかった国、兵器の近代化に遅れた国は少しの間栄えることも許されませんでした。
過去の歴史を見て、また現在の国際社会を見ても、このような国際社会観が徹底的に間違っているのがわかります。
誤った国際社会観により、軍備は必要ないと主張する現行憲法を支持するのです。
国際社会は安全な世界であり、軍備など不要でしょう、という意見です。
誤った自己陶酔主義者による護憲の主張
二つめの類型、誤った自己陶酔主義者とはなにか。
ヤフー知恵袋の質問のひとつ。
Q:日本国憲法はいったい、いつになればノーベル平和賞をとるのでしょうか!?私は来年には取れそうだと思うのですが、みなさんはどう思いますか??
この質問を閲覧したとき、まったく文章の意味がわかりませんでした。
質問者の方は”荒らし”でなく、
本当に疑問に思われて、このような質問を投稿されたようです。
これは戦後日本の外交方針の混乱、錯綜と少し関係しております。
第2次世界大戦後、核兵器が登場したこともあり、今後の世界戦略をどう組み立てていくのか、
その安保障戦略の最適解とはなにか、諸外国は真剣に考えました。
米ソの2極構造はこれまでの4つ以上の複数国家による多極構造とは違う。そのパワーバランスはどう保っていくのか?
新しく出来た国連はどのように機能するのか、諸外国も先行きが読めませんでした。
その中で、世界の新しい安保戦略として、日本が世界に提示した戦略(?)がありました。
憲法9条が採用した無抵抗主義・武力放棄主義です。
日本が率先し武器を捨て、他の諸外国の善意を信じる!と模範を示せば、必ず追随する国家が出てくる(はず)!
そうすれば世界から兵器がなくなり、世界は平和になる(はず)!というお金もかからず誰でもすぐ実施できる「画期的な」対外戦略でした。
ですが、どの国家も採用せず、無視されてしまいました。この時点で、すでに失敗しています。
日本だけが武器を捨てても、世界は平和にならないのですから。
それでも自分たちは道徳的に他国よりも優れているとうぬぼれ、破綻している事実を認めようとしない人たちがいます。
彼らを誤った自己陶酔主義者と呼びたいと思います。
このような主張はもはや悲劇であり、私もこれ以上評することを躊躇ってしまいます。
ナイーブで利己的な無抵抗主義者による護憲の主張
三つめの類型、何の覚悟もないナイーブで利己的な無抵抗主義者とはなにか。
自分さえ良ければそれでいい。いま自由な生活を送れているから、このままでいいじゃないか。
憲法改正され、自分に何か新しい責任が与えられるなら絶対に反対。
仮に日本がひどい目にあっても、他の日本人に押し付けて自分は逃げ出せばよい。
全員が逃げ出せるわけでもないのは分かっているが、逃げ出せなかったものが自己責任として被害を被ればよい。
この主張は先の二つの護憲派の主張と比べ、メンタリティ(精神的な面)はともかく、もっとも合理的な主張です。
ただその主張の決定的な弱点は、自分のみタイミングよく逃げ出せるという保証がないところ。
憲法改正議論は、道徳的な面も含め、そのような葛藤に襲われることになります。よって、議論自体すら避けたがるという姿勢。
彼らも日本の安保環境に対し危機感は持っており、現行憲法では日本の安全が保障されないことは理解しています。
ただ、徴兵制など、自分自身が「国のために戦う」「自己犠牲が求められる」ことが嫌なだけです。
護憲は単なる手段?第4勢力である反日主義勢力とは・・・
この3類型に当てはまる人たちは、社会主義へあこがれなど持っておりません。
護憲派ではあっても、左派と論じるのは不適切でしょう。
右派もそうですが、左派の定義も非常に難しい。
左派は社会主義的な主張とともに、中国・ソ連への支持を表明するのがかつての特徴でした。
対外姿勢も、反日、反米です。社会主義が崩壊した今では、自分たちを「リベラル」と名乗ります。
現在でも日本の言論空間に住み続ける、昔ながらの護憲派(左派)。社会主義崩壊以後は、反日的姿勢を強めております。社会主義がなくなり、反日のみが残ったという状態でしょうか。
反日派と護憲派はなぜ結びつくのか
昔の左派には急進的勢力がいました。日本人は悪魔的民族であり、
この世から絶滅すべきだ、という反日主義派です。
反日といえば、韓国です。韓国の統一教会では、日本人女性は韓国人男性に無条件で「ご奉仕」することでその罪が清められるという考えもあります。
かつての左派は、この反日派に集合し、護憲派の第4勢力に育ったといえるかもしれません。
日本さえいなければ世界は平和になる。だから、日本を弱体化させる日本国憲法を改正してはいけないという主張です。
そして、将来的には日本や日本人をこの世から絶滅させたいという本音があります。
日本人組織にも、かつて東アジア反日武装戦線が存在していました。1970年代に活動した武闘派左翼グループ・テロリストです。
彼らのいう反日は、日本が戦前にアジア諸国に対して「悪行」をしたという物語を少しも疑問に思わず、
幼子のようにひたすら信じ込むという点から出発します。
日本人のメンタリティに、自分の非を素直に認め反省することを美徳とする習性があり、
それともうまくマッチングするのでしょう。
反日派の一方的な歴史観では説明できない歴史の事実
反日派の信じる歴史観が一方的であるのは、以下のような歴史観も存在することからわかります。
日本は侵略したのではなく、アジア諸国から西洋列強の植民地主義者を追い出した。そのおかげで、いまアジア諸国が独立でき、
ひいてはアフリカ諸国含め、差別されてきた非西洋のあらゆる人種が国際社会においてその地位や独立を認められ、人種平等の世界が達成されたという歴史の事実です。
当時シナ大陸の出兵も自国民保護を求めての当然の出兵であり、現在の国際法に照らしても、まったく侵略行為ではありません。
朝鮮併合も当時の朝鮮近代化を目指す革命家グループとの合作であり、朝鮮半島にすむ人々は日本の統治により、はじめて基本的人権を得たことも事実です。
東アジア反日武装戦線の当時学生だった彼らもそうですが、
現在の朝鮮人も日本に支配される前の朝鮮がどのような状況だったのか、知らない方が多いです。
当時、朝鮮では両班(やんばん)という支配者階級が朝鮮人民を苛烈に統治し、
朝鮮皇帝も自国民を救おうとせず、官職を競売にかけて私利私欲を極めていました。
日本の朝鮮統治後、朝鮮人民の生活は格段に向上し、人口も増えましたし、富も加速度的に増えていいきました。
もしこれが「植民地主義的支配」というのであれば、貧困にあえいでいる発展途上国の多くの国々は
率先して日本の「植民地」になりたがるでしょう。
ある朝鮮人の言葉ですが、
「日本を非難している朝鮮人は、日本統治時代の朝鮮を知らない。私は日本統治時代の朝鮮を良く知っている。だから親日なのだ」と。
日本は悪者であるという思想(反日思想)は日本国憲法とマッチする
こういった歴史の様々な事実を直視せず、ひたすら日本が悪者であったと一方的に信じ込む非合理的な態度や姿勢。これが反日です。
反日でも何でもいろんな思想は認めますが、
あるイデオロギーや主義・主張により、自己を高めるのではなく他者への批判によって喜びを見出すものは迷惑な主張。
そういう意味でも、反日主義は間違っていると思います。
しかし、日本悪者説(反日思想)は、日本国憲法を作成した当時の米占領軍の頭の中身そのものであり、憲法前文にも焼き付いています。
ここに護憲派と反日派が必然的に結びつく素地があります。
まとめ
反日主義も含め、護憲派3類型に属する主張は肯定できる余地がほとんどありません。
必ず逃げられる手段を確保できるなら、利己的な無抵抗主義者の主張はゆいいつ合理的です。
※もちろん逃げた先(外国)での生活手段を確保する必要はあります。
改憲派と護憲派はまったく論理的に話が出来ないというわけではなく、
護憲派の中でも利己的な無抵抗主義者および反日主義者は、改憲派と同様、日本国憲法の本質を正しく理解しています。
日本国憲法の本質とは、日本を弱体化させ侵略させやすい状況にすること。
無抵抗主義者はその事態に対して国外への逃亡を選択し、反日主義者は日本人でありながら日本の破滅を望むという積極的支持を見せています。
改憲派の話を本当に理解できないのは、護憲派でも一部の人たち。
勘違いした国際社会観の人たちと、誤った自己陶酔主義者の人たちだけでした。
また、反日主義を公的にやんわりと肯定する日本政府の姿勢(第5勢力)も、護憲派の存在の正統性を認め、護憲派の基礎固めをしています。
ほぼ半世紀以上の間、日本で政権を得てきた自民党が党是に憲法改正を掲げていながら、
反日主義に近い歴史観のもとに、諸外国に対しビクビク怯えながら外交交渉を重ね、外交文書として結果に残る。それがまた反日主義を強くしてしまう。
こういった負の連鎖が日本国憲法がいまだに存在する説明ともなります。
反日主義と上手くマッチした日本国憲法。この点で、護憲派は改憲派よりも戦後日本で正統性を獲得しています。
改憲派の主張のほうが、論理的にみて合理性がある主張なのですが、護憲派には日本政府による公的な正統性の付与があります。護憲派の主張が強いのはこのためでしょう。
以上、改憲派と護憲派はまったく議論が食い違うわけではありません。同様に日本国憲法の本質を理解している部分もあります。
改憲派と食い違う護憲派は、一部の勢力です。
お互いにゼロかイチしかないような批判合戦をしているのは見せかけであり、
実際は「ある程度共通した前提を持っている」のが興味深いです。
護憲派の中には、「日本を他国に売り渡そう」または「国のために命をかける」ことに絶対に反対する勢力もいるのですから、
改憲派が護憲派を「説得」し、考えを改めようとする試みが成功することはないでしょう。今後も見せかけだけの論争は続くと思います(了)。
60秒で読める!この記事の要約!(お忙しい方はここだけ)
- 改憲派と護憲派の議論。同じ日本人同士でなぜ議論がかみ合わないのか。改憲派は「憲法9条が日本の軍事的プレゼンスを崩壊させ、自国の安保環境を非常に危うくしている」と主張。一方、護憲派は「憲法9条が改正されると『日本は危険な状況になる』のでだめだ」と主張。お互い正反対のことを述べているように見えるが。
- 実は、護憲派の一部も、日本国憲法は諸外国に対し無防備な状態をつくり、それが日本国憲法の本質であることを理解している。
- 現在、護憲派は大きく分けて3類型に分かれる。一つめは、少し勘違いしている国際社会観を持つ人たち、二つめは誤った自己陶酔におぼれて育った戦後世代、三つめは、何の覚悟もないナイーブで利己的な無抵抗主義者。
- 勘違いしている国際社会観を持つ人たちは、アナーキー(無秩序)こそ国際社会の特徴であるにもかかわらず、日本のみ「悪い」ことをしなければ世界は平和となる。つまり、国際社会で戦争は起こらない。戦争は仕掛けた側が常に悪く、必ず敗北すると楽天的に考える。よって現行憲法を支持する。
- 誤った自己陶酔主義者とは、日本国憲法はノーベル平和賞に値するもので、他国も見習うべき。やがて、全世界が軍事力を放棄し、世界が平和になると牧歌的に考える。よって護憲。
- 何の覚悟もないナイーブで利己的な無抵抗主義者とは、かりに日本がひどい目にあっても、他の日本人に押し付けて自分は逃げ出せばよいと考える。もし憲法改正され、自分が「国のために戦う」「自己犠牲が求められる」ことは絶対に反対。ゆえに護憲。
- 少数派だが、護憲派の第4勢力と言える存在が、反日主義勢力。かつての左派に属する護憲派。日本人は悪魔的民族であり、この世から絶滅すべきだと考える。たとえば、韓国の統一教会。日本人女性は韓国人男性に無条件にご奉仕することで、その罪が清められるなど。日本を弱体化させ、世界から日本や日本人を絶滅させるために日本国憲法は「とても役に立つ」と考える。よって、反日派と護憲派はマッチングする。
- 反日主義も含め、護憲派3類型に属する主張に肯定できる余地はほとんどない。が、護憲派の中でも、利己的な無抵抗主義者と反日主義者は、実は改憲派と同様に国際情勢や日本国憲法の本質を正しく理解している。
- 改憲派の話を理解できないのは、護憲派でも一部の人たち。実際のところ、改憲派と護憲派、両者は同じ前提を共有し、同じ考え方をしている。議論がかみ合わないのは「見せかけ」だけ。
- 今後も「見せかけ」だけの論争が続くと思われる。表面上はともかく、根っこのところではお互い共通理解をしているから。
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