風船爆弾と原爆投下は同レベルの戦争犯罪?なにが国際違法行為に当たるのか?

政策争点
写真はイメージ ©すしぱく

「戦争はよくない。戦争はよくないんだ。日本は悪いことをしたんだ」そんな非戦を訴える言葉を聞く度に、私は違和感を覚えます。

戦争とは国家間で起きた問題を解決する一手段。自衛戦争は認められており、第二次世界大戦以前は、

他国に奪われると自国の安保が脅かされるような第三国の領土を、自国の領土とすることも認められていました。

最大のタブーは戦争犯罪。戦争犯罪の中でもっとも罪が重いのが民間人を狙った攻撃。

2020年代ではロシアのウクライナ市民への攻撃(学校や病院などを爆撃)。第二次世界大戦では、米軍の原爆投下、東京大空襲が有名です。誤爆ではなく、明らかに市民をターゲットとした攻撃。

米軍の原爆投下は、ジェノサイドに認定される最も悪質な戦争犯罪。

しかし、日本人の一部は「日本だって風船爆弾をしたではないか!」と顔を真っ赤にして反論します。要するに、原爆も風船爆弾も民間人を標的にした軍事攻撃であり、日本もアメリカもどっちもどっちなのだと。

検証するためには、まず国際社会のルールである国際法を知ることが一番です。とくに国際人道法。国際人道法とは戦争をする上でのルールを定めた条約です。

しかし、国際法が遵守されないことは、歴史が証明しています。大国は、国際法をまるで無視した態度をとります。そのような場合、国際社会や各国家はどう対応すればよいのか。

国際法を守るため、その担保をどうするかという点も国際社会の課題です。

この記事では、果たして日本の風船爆弾が原爆と同様の犯罪なのか、犯罪行為を抑止する国際法上のシステムにどのようなものがあるのか、丁寧に解説していきたいと思います。

風船爆弾と原爆は同じ戦争犯罪なのか??

まず、風船爆弾と原爆ではその規模がまったく違います。※もちろん性質も違います。風船爆弾は森林消失が狙い。原爆は明らかに民間人の大量虐殺が狙い。

風船爆弾は9千発ほど飛ばして、およそ数百発が米国本土に届いて、何人か死傷者が出たのは確かです。一方で、たった一発の原爆投下は、日本の市民数十万人の命を奪い取ったのです。

日本人数十万人の命が、米国人1人と同じ価値だとでも言うのでしょうか。

たぶん、米国人でさえ驚いてしまう発言を日本人がするわけです。その点も大きな問題ですが、

実は、この風船爆弾は戦争違法行為とする見方がそもそも間違っております。

私は風船爆弾を作っていたんだ。なんて悪いことをしたのだろうか。この国は間違ったことをしたのだ

と主張する方がおられます。

しかし、残念ながらこの方の主張のほうが間違っています。日本は間違ったことをしていないのです。

まず、国際法の基本知識として、国際法の報復復仇の違いを説明します。

国連憲章はほとんど機能せず、曖昧だと常に批判対象

2020年1月、イランと米国の争いが深刻化しています。

なんと米国が、イランの国民的英雄であった革命防衛隊司令官をイラクの空港で軍事爆撃し殺害したからです。

これに対し、米国の国連憲章違反であり、先制攻撃による侵略行為だとする見方があります。

しかしながら、現在の国際社会では国連憲章などほとんど機能していません。

「武力行使は違法行為であり、現在では大きく制限されている」と主張するのは、日本の学者やメディアのみです。

あの国際司法裁判所でさえも、国連憲章の規定はあいまいであるとし、伝統的な国際法の自衛権議論を中心に判断しますし、海外の国際法学者には、国連憲章はまったく武力行使に制限を加えていないと語る方も多くいます。

※伝統的な国際法の自衛権とは、必要性の原則、均衡性の原則などです。ようするに、「軍事力行使が必要であり、均衡性のとれたものであれば別に構わない」という昔ながらのルールです。

ですから、米国の武力行使も国連憲章のみをもって「重大な国際法違反だ!」と語るのは、少し問題があります。国際法の視点から正当化できる余地はあります。

国際法上の報復と復仇の違い|日本の大手メディアの国際音痴

米国がとうぜん国際法違反をしていると決めつける態度は控えるべきでしょう。国際法はそんなに明確なものではありません。

大手メディアも「イランと米国は報復合戦が今後起こるだろう」などと述べております。

一般的な、辞書的な意味での『報復』として使用しているのかもしれませんが、実はそれがまったくの国際社会音痴であることをさらけ出しています。

この場合は、正しくは『報復』ではなく『復仇』が適切なのです。

国際法での『報復(retortion)』は、相手国の行為が国際法上の義務違反であるかどうかにかかわりなく、その自由な裁量によって行える対抗措置をいうのです。

たとえば、外交関係断絶とか、貿易その他の便益の停止など、その国の主権的権能に基づいて行える措置のことを言うのです。

一方で、『復仇(reprisal)』とは、相手国の国際法違反の行為に対抗して、その違法行為を止めさせたり原状回復させたりすることを狙いとして、行われる実力行為のことを言います。

本来であれば、国際法違反行為に当たりますが、この場合はその違法性が阻却そきゃくされることになります。阻却とは、違法性がなくなるということです。

現在では、”武力復仇”に関しては国際法上禁止されているとの見方もあり、

被害国は非軍事的な実力を用いて対抗できるという考えが強いかもしれません。たとえば、条約義務の一方的停止、在留外国人の資産凍結または追放などです。

しかし、その効果が認められないのであれば武力復仇も選択肢の一つとして、とうぜん国家は保有しているという見方もあります。

今回のイランの司令官殺害は、米国にとっては単なる武力復仇。米国政府は、国際法違反であるとは決して考えておりません。

このような見方が国際社会にあることを、日本の大手メディアも含めて私たち有権者は知っておくべきではないでしょうか。

個別国家の報復や復仇が国際法の法執行機能の中心

国際社会は基本的に無秩序でアナーキーな世界であり、復仇も報復も個別国家が行う伝統的な法執行機能の中心であります。アナーキーとは無政府状態という意味です。

また法執行とは、国内の警察官のように、犯罪者を実際に取り締まる行為のことですね。

国連の安保理がまったく機能しておりません。ただ教科書的に軍事復仇は禁止されているなど主張しても仕方がないのです。

理念や主張だけで問題が解決されることは絶対にありえません。

軍事的または非軍事的復仇行為が、いまだ国際社会の法執行機能の中心であるのは昔も今も変わらないのです。

国際社会には警察官も裁判官もいませんので、自分たちで相手の違法行為を裁く!それが国際社会の大前提です。

イランの場合は、米国の国際違法行為に対し、軍事的復仇を米国に行う権利があります。

もしイランが復仇と言う対抗措置を行わなければ、米国の行った行為はイランでさえ認める正当な行為と認められ、まったく無法な行為ではないとなります。

イラン側でさえ認めたのだと世界は認識するでしょう。ですから、米国も「イランが軍事的復仇をしてくるだろう」と当然予想しております。

もちろんイランに対して、「米国の軍事施設を攻撃してくるなんて国際法違反行為だ」などと言いません。

大手メディアは単なる仕返しという意味での報復ではなく、イランは国際法に基づいて正当に軍事的復仇を実施し、その米国の国際違法行為の停止又は原状回復を求めたと、

そのように解説しなくてはいけません。戦争や武力行使はどっちもどっちという、国際システムに対する根底からの誤解があるのだと思います。

日本の風船爆弾は、国際法を守るための正当な行為

第二次世界大戦時の日本の風船爆弾は、米国の本土空襲などを代表とする、数々の戦争法違反行為を停止するべく行われたもの。

もし日本が何の復仇行為に頼ることなく、そのまま見過ごしていたら、米国側は原爆投下など戦争犯罪を止めようとも思わないですし、被害国である日本の被害は増すばかり。

国際社会では誰も助けてはくれません。自ら救うものこそ救われるのであり、自助行為によりその国際法執行機能を担保し、そうやって国際社会のルールを守っていくしかないのです。

「風船爆弾をした日本は、原爆投下の米国を責めることなど出来ない」という主張は大きく間違っております。

日本の戦争犯罪の語り部として、不戦の主張を伝道されている方がおられますが、彼らの主張は一見正しく聞こえますが、

実はとんでもない間違いを秘めております。私がいつも違和感を感じるのはこのためです。

※国際法上の自衛権行使要件には、均衡性の原則があります。風船爆弾の死傷者と原爆投下の死傷者はまったく規模が違います。まったく不均衡でしょう。

車をいたずらされるAさんはどうすればいいのか?(仮定)

次のような仮定をしてみると分かりやすいかもしれません。

Aさんはよく自分の車にいたずらをされます。そのいたずらをするBさんはそれが楽しくて仕方がない。いくら口で文句を言っても止めてはくれません。

Aさんは実力行使に出ます。それは、Bさんの車にいたずらをし、もしまた自分の車に同じようないたずらをしてみろ!またやり返しにくるからな!と。

それ以降、BさんはAさんの車にいたずらをするのを止めたそうです。

このAという人物はとんでもなく悪い奴だ!AはBと同じくらい悪い!!

この主張に違和感を感じられる方が多いと思います。

誰が考えても悪いのは、Bさん。しかし、Aさんは悪いことをした。とんでもないことをしたのだと語るのが、日本は戦争加害国だと語る語り部の主張です。

まとめ

日本の風船爆弾は正当な国際法執行機能を担保したもの、日本側に非はありません。

もし日本が風船爆弾を飛ばさなければ、それこそ国際社会の一員として失格。

みんなでルールを守っていこうとする国際社会での裏切り行為となります。相手国の国際違法行為に対し、しっかりとやり返さなくては誰もルールを守らなくなるからです。

メディアが、「両国とも報復合戦をしている」とネガティブな印象で語りますが、実際は各国とも国際法システムを守る行為をしております。

一国家の政府が検討に検討を重ねてすることが、ただの「子どもの仕返し」であるわけがありません。このようなメディアの報道は、国際社会の性質を見落とした間違った主張です。

国内社会には警察も、裁判官もおり司法が成立しているのですから、先の仮定の話に言及すれば「Aさんは警察や役所、自治会や町民会などにまず相談するべきだ」となります。

Aさんの行為も理解はできるけど、正しくはない!という結論になります。ですが、それは国内社会での解答であって、国際社会には警察も裁判官もおりません。

Bさんが「俺は警察に捕まるのも、裁判に突き出されるのも拒否する!」と言えばすごすごと引き下がるしかない。それが国際社会です。

大手メディアは国内社会と国際社会とを混同しているため、このような間違いをします。

日本は戦争加害国だと語る方々に共通する間違いでもあります。自分は戦争で人を殺してしまった、と後悔するのは個人の自由です。

しかし、自分の後悔のレベルを超えて、国まで間違った行為をしたと語るのは次元が違います。

国際社会の構造を知らない上での無知なのか、それとも何か確信犯的な主張なのかは分かりませんが(了)

60秒で読める!この記事の要約!(お忙しい方はここだけ)

要約
  • 「日本だって風船爆弾をしたのだから、米国の原爆投下を責められない!」という主張には違和感。大手メディアは国際紛争のたびに「両国とも戦争や武力行使に訴えているのだから、どっちもどっちだ」と主張する。「両国が報復合戦に発展」とも。
  • しかし、一般的な『報復』と国際法上の『報復』はまったく意味が違う。国際法的な意味での報復は相手国の国際違法行為の有無に関係なく行える、国家の主権的権能にもとづく行為である。
  • 一方、相手国の国際違法行為を中止したり、原状回復を求めて行う実力行使は『復仇』と呼ばれる。復仇による実力行使は国際違法性を阻却される。すなわち、違法ではなくなる。
  • 第二次世界大戦時の日本による風船爆弾投下も、日本国への本土空襲など、米国の数々の国際違法行為に対して行われたもの。国際違法行為を阻却される復仇であり、国際法上正当な行為。報復や復仇は現在でも国際法執行機能の中心的な役割の一つ。
  • 日本の大手メディアも不戦伝道師(日本は戦争で悪いことをしたと語る)も、国際社会と国内社会とを混同し、その構造の違いを理解していない。国際社会はアナーキーな無秩序な世界であり、自分の身は自分で守るしかない。法執行活動も自分で行うしかない。その誤解が間違った主張を生んでいる。

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