終戦の日は、日本全国で戦争犠牲者を追悼する日です。
犠牲者を慰霊することはもちろん大切ですが、気になるのは日本人がよく口にする「反省」という言葉。天皇陛下さえもこの「反省」という表現を使います。
日本人は一体、「何」に対して「反省」をしているのか、疑問です。
「深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」 という天皇陛下のお言葉。
しかし、民間人大虐殺などの戦争犯罪を犯し、原爆投下というジェノサイドまで犯したのは米国です。 石油を禁輸し、日本に戦争以外の選択肢を残さなかったのも米国です。
支那事変においても、当時の中華民国が在中日本人の保護をしなかった。日本の支那出兵は当然です。
米国や支那に対し、戦争犯罪の反省や謝罪を求めるのであれば理解できます。
ですが、反省とは本人が内省的にすること。やはり、日本人が反省しなければならないのでしょうか。
反省すること。つまり自虐史観を持ち続けることで、何か日本にメリットがあるのであれば続ければいいですし、無意味であるなら止めるべきです。
こちらの記事では、「反省」という言葉から、戦後日本人の自虐史観を検証していきたいと思います。
諸外国は「反省」など、決して口にしない
米国は原爆投下や東京大空襲において無辜市民を何十万人も殺害しました。ですが、戦争犯罪という認識すらありません。
ロシア(当時・ソ連)は中立宣言を一方的に破棄し、樺太や千島列島を日本から奪いとり、朝鮮や満州から日本へ戻る日本市民に対して襲い掛かりました。
その際、ロシア兵は強姦や強盗など大量の戦争犯罪を犯しました。
日本が日露戦争で捕虜にしたロシア人兵士を国際人道法に則り、国のために戦った一個人として敬意をもって遇したのに対し、
ロシアは、日本兵に対して死ぬまで強制労働をさせるという人道とはかけ離れた扱いをしました。もちろん、ロシアも反省などしておりません。
中国(シナ)は当時通州事件のような日本人大虐殺事件を起こしました。
当時、海外に住む本国人が組織的に殺害されたり、その生命・安全に危機が迫った時、その現地国がまったく無策であり助けない場合、自国が軍隊を派遣して救出に行くことは当たり前のこと。現在の国際法上でも否定されておりません。
日本が中国(シナ)を侵略したと誤解している日本人が多いのですが、まったく侵略ではなく、当たり前の出兵だったといえます。
中国は、これら虐殺事件に対して日本国になにか「反省」はしたのでしょうか?もちろん「反省」などしておりません。
日本人が戦後「反省」を表明する4つの理由
日本以外の諸外国は、原爆投下を含めたジェノサイドすら犯している一方で、まったく反省などしていません。しかも、戦争犯罪という認識すらありません。
では、なぜ日本人だけが自虐史観を持ち続けるのでしょうか。
戦後日本人が、不思議な贖罪意識を持ち始めたこと(1つ目の理由)
日本では、天皇陛下でさえも「反省」という言葉を口にします。
理由の一つは、日本は外国を「侵略」した悪い国だと、日本政府自身が訴えていること(一つ目の理由)。そのため国民やメディアも同様な姿勢を持つことが正しいと刷り込まれているインプリンティングのです。
各国の戦争犯罪を考えても、日本のみが悪いとみなすのはまったくの誤り。日本が戦争で敗戦し、極東裁判などのデタラメ裁判により日本人のみが戦争犯罪人として一方的に裁かれたこと、
戦後日本の国際外交における愚かな追認行為により、まったく日本の国際的な立場が回復されていないことなども大きく影響しているのかもしれません。
愚かな追認行為とは、日中共同声明において、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し深く反省する」という表現によく表れています。
しかし、1952年の日華平和条約や65年の日韓基本条約ではこのような「反省」という不思議な言葉は出てきませんでした。このときはまだ「反省」をしていませんでした。
実は1960年代半ばまでは、あまり「反省」していなかった日本!?
なぜ国際的な外交文書でいきなり「反省」という言葉が使われるようになったのか。
原因の一つは、占領期間中に占領軍が行ったWGIPの効果が日本人に出始めたこと。WGIPとは、日本人に戦争での贖罪意識を植え付けるため、占領政府が行った情報プログラムのことです。
これに関して面白いエピソードは1つあります。当時はネットもテレビもありませんので、唯一大衆映画こそが日本の庶民の娯楽でした。
占領軍は、自分たちで映画の脚本作り、戦争への贖罪意識を日本人に植え付けるセリフを役者に言わせました。
そのセリフを、60~70年代の学生闘争で反日教育にかぶれた大学生がそっくりそのまま使用しています。それほど影響力があったということ。
当時の大学生諸君は自分で考えたかのように思っていたのでしょうが、それは占領軍が作った映画の役者のセリフに原点があるんです。
国民の命よりも国交正常化を優先する外務省のゆがんだ姿勢(2つ目の理由)
2つ目の理由は、現在の対北朝鮮外交を見ても分かる通り、日本の外務省の歪んだ外交姿勢。
まともな軍事力もない戦後日本では当然外交力など持ちえません。そんな彼らが目指したのは、諸外国との国交回復(国交正常化)です。
国交など開いても閉じてもどっちでもいいと考えるのが普通ですが、日本の外務省は海外に住む日本人の安全よりも、国交回復をちまなこになって目指すというおかしな性質を持っております。
ですから、国交正常化がなされるのであれば、あらゆるデメリットを受け入れる。
それが「反省」という、本来であればあり得ない語句を外交文書に記載するという過ちを犯すことになった。
戦後外務省の大失態です。こんな馬鹿なことをしては国際社会での日本の立場は弱くなります(②外務省の組織的な過ち)。
政治家のリベート狙いのための反省(3つ目の理由)
国交正常化の際に、日本側が反省を表明することのメリットがあります。
その場合、t大概は相手国側から「反省するなら金をくれ」という賠償金をせびられることになります。
そして、支払った金額の数パーセントを、リベートとして交渉を取り持った日本の政治家が自らの懐に入れます。
実際に東南アジア諸国との国交正常化の際にも、リベートを何億も受け取った政治家がたくさんいたとのこと。
最近では、日朝平壌宣言もこの「反省」や「お詫び」という表現を書き入れております。もちろん、その後の賠償金でのリベートを狙っているのでしょう。
つまり、賠償金からのリベート狙い、すなわち私欲を充たすために日本と言う国家に「反省」をさせるということ。
自民党の政治家に特に当てはまりますが、この政治腐敗という戦後日本政府の堕落が自虐史観を強めています(③政治家のリベート狙いのための「反省」)。
日本人の戦争回避のためのポージング(4つ目の理由)
日本人が反省する理由としてまだ”まし”なものは、日本人は先の大戦で侵略戦争をしたと認め、
心から反省しているという姿勢を国際社会に見せる。これで、日本は国際社会に対し良い国であると信頼してもらえると考える。その信頼は諸外国と日本との戦争を遠ざけるのではないか。
そんな風に考えている日本人は結構多いのではありませんか。
つまり、日本は諸外国に歯向かいませんよ、というアピール。
ファイティングポーズを決して取らず、日本は侵略戦争をし、外国のみなさんは正義の戦争をしたという「物語」を心から信じている。だから、私たち日本人はあなたがた外国人の味方なのだというのです。
そんな風に主張したいのではないでしょうか(④日本人の戦争回避のためのポージング)。
まったく空想的牧歌主義であり、戦後日本の「平和主義」を表していると思います。
戦後日本の象徴は「自虐史観」にありと言ってもよいでしょう。
自虐史観は、戦争におびえる日本人の不安が背景にある
日本人は本心では不安で不安で仕方がないのだと思います。
憲法9条により軍隊を放棄させられ、日本は現在非常に無力な状態です。
「日本から諸外国を守る」というテーゼのもとに起草された日本国憲法。日本を徹底的に弱体化させ、諸外国の支配下に置くことを目的にした日本国憲法で、日本の防衛力は完全なまでに無力化されています。
一方、諸外国はそうではありません。いつでも日本に戦争を仕掛けることができます。
ですから、必死で自分たちは友好国であると宣言しなくては、そう主張して見せなくては心配で心配で仕方がないのだと思います。
日本人が先の大戦に対し、日本が侵略し、諸外国が正義の戦争をしたと自虐史観を表明する理由は、不安です。
また、日本が国際社会で唯一侵略戦争をした悪い国でなくてはいけないという、強迫観念もあります。
もし日本悪玉説が間違っていれば、憲法9条によって弱体化させられた日本の防衛体制ではまったくダメだとなってしまいます。
まとめ
日本人が先の大戦を反省する理由は非合理的なものばかり。自虐史観を都合よく利用しているのは否定できません。
そもそも半世紀以上前の戦争に対して、当事者でない私たちが反省するなどおよそ不可能。
現在の日本国民は先の大戦に対して反省するのではなく、無防備状態でいることの不安の感情のほうが強いと思います。
半世紀以上前の戦争よりも、今を生きる自分たちの感情にこそ実感を持つのは当然。反省よりも、日本人は再び戦争となることを恐れています。
戦争は、国家のパワーバランス(軍事力)が崩れたときにおこります。
戦争を避ける上で、相手国民が良心的であるのかという点はまったく関係ありません。しかし、日本人は「人間の良心」というものに、よほど信頼を寄せいているのでしょうか。
これは神風信仰よりもさらにタチが悪く、あまりに非合理的な思考だと言わざるをえません。ただの甘えです。
相手の善意に訴えて自分たちの生存を確保することは、自助の原則(セルフヘルプ)こそが最大の掟である国際社会で最悪の選択です。
自ら救うものこそが救われるのです。国内社会でさえ勉強し、良い大学に入り、また良い企業に入ろうとします。
医者や弁護士など厳しい試験のために勉強し、ライバルに競り勝って合格を手にし、その職業を得ます。自分の努力こそが、成功への道を切り開くのです。
国際社会でもまったく同じです。その点を誤解し、自分たちは「良心的な国民」なので、侵略戦争を仕掛けないでくださいとお願いする。これが戦後日本人が自虐史観を持ち続ける真の理由です。
もし本当に反省しているのであれば、全員自害して、日本の領土・富をすべて善良なる諸外国に渡すべきでしょう。
まったく無意味な行為。核武装をし、軍隊をもつ。国際社会で生き残りたいのなら、正しい努力をすべきです(了)。
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