ガンダムSEEDは、2002年10月5日から2003年9月27日にかけて全50話が放送されました。
ガンダムシリーズお馴染みのプロットをたどりつつも、宇宙世紀ではなくCE(コズミック・イラ)という時代設定。
まったく宇宙世紀とは別世界の話です。放送されていた当時、2002年の夕方。視聴対象は、往年のガンダムファンではなく、中高生。アムロやシャアの名前くらいは知っている程度。
みんな宇宙世紀という言葉すら、「ちょっと・・・わかんない」という状態でした笑。
※2002年はまだ携帯電話(ガラケー)の世界です。レンタルビデオくらいしか昔のアニメに触れる機会がありませんでした。ネトフリやAbemaなどの動画配信サービスで昔のアニメが見られるようになったのは最近ですね。
ガンダムSEEDは、21世紀初のガンダムシリーズ。ガンダム人気を呼び戻したともいえるほどの作品です。しかし、ガンダムはすべて戦争がテーマです。憲法9条、自虐史観の影響もあり、ことさら戦争忌避をする日本。
特に現在の若者は「国のために戦う」こと、すなわち国民精神(ナショナリズム)を思想的に拒否しているとされております。
※世界価値観調査では、「戦争が始まったら国の為に戦うか?」という質問に対して、「はい」の比率がたった13.2%。世界79か国中、ダントツのワーストワン。ワーストツーのリトアニアでさえ32.8%もあります。異常な低さです。
なぜガンダムが受け入れられるのか。こちらの記事では、ガンダムSEEDのあらすじ、ガンダムSEEDが若者を捉えた理由、アニメとナショナリズムの影響について語ります。
♦ガンダムSEEDのあらすじ
ナチュラルとコーディネーターが競い合うと、圧倒的にコーディネーターが勝ちます。アニメでも、ナチュラルは歯が立たないんです。
戦争が嫌で、中立国に逃げてきたコーディネーター。そのコーディネーターが、同胞であるプラント側と戦う。作中でかなり珍しい立場です。作中でも「君みたいな裏切り者のコーディネーターは珍しい」とプラント側の軍人に言われております。
ストーリーの面白さは、幼少期の幼馴染アスラン・ザラがプラント側におり、彼と命がけで戦うという点もひとつ。アスランは生粋の軍人であり、「国のために戦う」ことは当たり前。キラとはまったく違います。
作中で、プラント側の軍人に「どちらかが滅びるまで戦うしかないだろう?」と問われ、絶対戦争の呈をなしてくる。お互いに核兵器を使い、殲滅戦となってくる。これも”ガンダムあるある”ですね。
従来のガンダム作品と違うのは、戦争自体に疑問を抱き、キラは地球連合を脱隊し、ラクス・クライン(アスランの婚約者)とともに第三の道を歩み始めること。
※初期のガンダムでもアムロは一度軍を辞めますが、すぐに戻ってきます。
アスランも、プラントの代表者である父親の考え方(ナチュラルを滅ぼす)に疑問を感じ、婚約者であるラクス・クラインに「恩賞のためなら、私を殺しますか?ザフトのアスラン・ザラ!」と突き付けられます。最終的にはキラとラクス側に寝返ります。その後、停戦し、話は終わります。
♦作中でのキラの成長
キラは、終始「非戦」の戦闘スタイルです。作品後期では、相手のコクピットを狙わず、戦闘不能にさせるという技術で相手をなぎ倒していきます。
アムロのニュータイプとはまったく違い、人類史上最高のコーディネーターを作るという計画のもとに生まれたスーパーコーディネーターです。彼の超人的な能力があってこそできる技。
実際に、キラ自身の言葉でも「戦争を止めるには、”思い”だけでも”力”だけでもダメ。両方ないとダメなんだ」と語られています。これは、キラに決定的な影響を与えたラクスの哲学でもあります。
前半では相手を殺してしまう「自分の能力が嫌だ」と否定していましたが、作品後半では力=軍事力、武力の必要性を理解する。
ガンダム初期の作品、アムロやカミーユと違って、ややパーソナリティに幼さがある。最後まで現実主義的な認識に欠けているものの、戦争を抑止するには「パワーバランス」(勢力均衡)が必要であると最後は理解したのかなと思います。
♦ガンダムSEEDがヒットした理由
中高生に受けた理由は、率直に言ってビジュアルやプロットの良さだと思います笑。
さんざん引っ張っておいて、「これが結論かよ!」みたいな感じですが。もう素直に謝ります。
「あなたは戦争に対してどういう姿勢で臨むのか?」というメッセージは完全に無視されていたと思いますし、「非戦が大切」とも思わなかったでしょう。
面白い話を作るには、国家間ベースでの戦争をテーマにするのは、古今東西みな同じ。スターウォーズしかり、です。所詮は、「作り話の世界」だからと淡々に受け止めたでしょうね。もうこれが結論です。
戦争とナショナリズムに関しては、他のアニメ作品ではもっと食い込んでいます。
ナルトでは、「国のために戦う」ことが当たり前。国を守るとは、その国に暮らす子供たちの未来を守るためであると喝破しています。
進撃の巨人では、自虐史観で暮らす戦後日本人をモチーフにしています。作中主人公はエルディア人という悪魔の民族であり、滅びなくてはいけないという設定です。作者の見解はわかりませんが、戦後日本人に対する「痛烈な皮肉」ですね。
もちろん、進撃の巨人の主人公・エレンは、戦後日本以外の、諸外国では当たり前。国家のために戦い、死ぬことを誇りとしています。ナショナリズム(国民精神)がなければ、弱肉強食の国際社会では生き残れない。
※ナルトや進撃の巨人は、アニメとナショナリズムを捉える点で素晴らしい作品なので、別記事にするかもしれません笑。
♦「日本の若者は右傾化している」は正しい!?
15年ぐらい前でしょうか。中国の世論に「日本の若者は右傾化している」という主張が出てきたと記憶しています。
その際に、商業反日勢力の一人が”何としてでも中国人様の洞察力の鋭さを証明するんだ”、とばかりに論文を書いた人がいました。アニメ『コードギアス反逆のルルーシュ』が大ヒットしたことをもって、「日本の若者の右傾化は正しいんだ」みたいなことを書いていました。
※コードギアス反逆のルルーシュとは、戦後日本をプロットにした、国家間の戦争をテーマにしたストーリです。ジャンルとしては、戦争・ロボット系です。ガンダムと同じですね。
「いやいや、それはないだろう」と当時も現在も感じています。日本の反日勢力は、基本的に中国・韓国の主張を全面的に認めるため、すぐに同意し媚びるような主張をする傾向にあります。
商業作品であるアニメがナショナリズムに影響を与えることは100%ありえません。自衛隊に入隊する理由に、「ナルトやガンダムを見たから」と答える人などいるでしょうか。
アニメは、戦後日本人にとって、ナショナリズムや自己犠牲の精神が大切であると表明することを許された唯一の場です。「国を守るために戦う」という自己犠牲は、キリスト教においても最高の徳の一つ。
若者のみならず、日本人、外国人問わず、みな理解しています。ですが、戦後日本の言論空間ではナショナリズムも自己犠牲も「くだらないもの」と否定しなくてはいけない。
世界価値観調査など、表の場では「YESと答えづらい」、そういう雰囲気がありますよね。大学でたまに教授が問うこともあります。挙手する勇気のあるものは少数。教室内からは冷やかすようなくすくす笑い。KY扱いをされます。
しかし、友達同士の会話から察するに、国のために戦うのを至極当然に受け止める人が意外にいます。
ディズニー系とは違って、日本のアニメが戦争モノ(ナショナリズムや自己犠牲)を扱うのは、そういう人たちにとってある種のカタルシス効果があるのかも。
ともかくガンダムSEEDの新作が2024年に公開されるとのこと。個人的に楽しみで仕方ありません。もう一度初めから見て、予習したいと思います笑(了)。
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