他者の主張に負のレッテル張りをし、言論封殺を図る言葉に「ネトウヨ」があります。2000年代から使われるようになってきた、ネットスラング。
識者の意見とやらを聞いてみると、いまひとつピンときません。彼らジャーナリズム・言論界で飯を食べている人間はとかく「意味」を広げすぎる傾向にあります。
「いやただのネットスラングで、取り上げる価値のない言葉です」となれば、当然原稿料などもらえないからです。それはまあ、わからなくもないのですが笑。
ネトウヨの定義や特徴、また識者らはどのようにネトウヨを捉えているのか、今後の対応など考えていきたいと思います。
♦「ネトウヨ」を自分たちよりも”下位に属する連中”とみなす大前提がある
ある記事内で、中島岳志は、「ネトウヨ」と保守派を区別して捉えています。ネトウヨは”保守思想にすらコミットしていない”といいます。
中島の保守思想がよくわかりませんが、世間一般では、右派的な意見=保守というのが通念。ともかく、臭いものには蓋をしたいんでしょう。ネトウヨがネガティブな意味なので、自分たちは「保守派」と定義して防御したい。こういうのを度量が小さい人と言います。
中島はまた、ネトウヨを「反左翼」という枠内で把握し、”右派は自分たちの意見がメディアや教育、アカデミズムから排除されている、マイノリティーであり、誰もそれを代弁してくれないという意識があった”とし、自分たちの存在空間をネットの世界に求めた。それがネトウヨの誕生であるという理解をしています。
この点は正しい。しかし、「自分たちは排除されている」と考える人たちは大勢いるのではないでしょうか。そんな彼らが、誰もが自由に匿名で発言できるネット世界で声をあげる。「ネトウヨ」のみに当てはまる現象なのかな?と思います。
一方、西部邁は、ネトウヨは反知性主義とこき下ろし、”下品な言葉遣い、他人に対する誹謗中傷、罵詈雑言があるらしい”と定義にもならない主張を展開する。
西部の主張は、これまたネット空間で起きた一般的現象そのものを指しています。すなわち、匿名性。匿名の世界で「自分の正体を隠せる」からこそ、無責任で相手を気にせず、いくらでも攻撃的になりうる。
憂さ晴らし・ストレス発散による攻撃的姿勢、低俗な言葉の使用。誰にも注意されない。お互い罵詈雑言を浴びせているんだから、「俺だって別に構わないだろう」という認識を匿名空間であるネットの世界は増長させてきました。
西部の定義では、ネットの世界で匿名で発言するすべてのものが「ネトウヨ」になってしまいます。(参照元:ネトウヨと保守、右翼は何がどう違うのか西部邁、中島岳志が師弟対談)
こういう評論家・大学教授ら識者による無責任な「言葉の使用」こそ、注意されてしかるべきではないのか?彼らは、前提としてまず「ネトウヨ」を自分たちよりも”下位に属する連中”だとみなしている。もうこの時点でアウトだと思います。学問的な姿勢ではありません。

写真はイメージ ©すしぱく
♦ネットで情報を仕入れ行動する人は全員「ネトウヨ」!?
「以前の寛容だった父はもうどこにもいません。今は右派によるフェイクニュースを信じるネトウヨですよ」
「今は参政党に傾倒していて、先の統一地方選では選挙運動を手伝っていたほどです」
上記の発言は、SPA!「親がネトウヨ」取材班による、「寛容だった父はもういない」“ネット右翼”になった62歳の父に戸惑う36歳男性の胸中という記事内の引用。こちらの記事では、さらに「ネトウヨ」の定義が錯綜しています。
定年退職した父親の「ネトウヨ」化を子どもが嘆くという内容の記事ですが、ここでの「ネトウヨ」の定義がすごいです。
本特集でのネトウヨ・陰謀論者の定義は「子がそう感じたこと」を前提に、ネトウヨについては「中国や韓国などのアジアの人たちをはじめ、リベラル勢、LGBTQなどのマイノリティへのヘイトを憚りなく家族や友人の前で公言する人」とする
一般的に、「ネトウヨ」とは、匿名で発言できるインターネット空間の中でのみ、右翼的な発言をする人を指すのではなかったか。実生活では、そのような姿を決して見せない。実生活で、政治的な言動をすること自体が日本社会では異端視されるから。
実生活でも右派的な主張をし、選挙団体で活動もする。これはネトウヨなんでしょうか笑?
ネットで〇〇な知識・情報を仕入れることを、もしかしてネト〇〇と定義している?これでは、ありとあらゆる人が何らかのネト〇〇になりはしないか?現代において、ネットは情報を入手する一媒体。
まずはネットで調べてから行動する人がほとんど。2000年代にみられたような「インターネットの情報なんて信じられない。誰が書いているかもわからないんだから」という世間の風潮はもはや廃れ、
今では「幼少期の頃よりネットリテラシーを身に着けるべく教育すべきだ」という流れが一般的ではないでしょうか。
※ネットリテラシーとは、インターネット・リテラシーを短縮した言葉で、インターネットの情報や事象を正しく理解し、それを適切に判断、運用できる能力を意味します。
メディアリテラシーも同様ですね。インターネットやテレビ、新聞などのメディアを使いこなし、メディアの伝える情報を理解する能力。また、メディアからの情報を見きわめる能力のこと。
ネットで流れている情報を知識として取り入れること=胡散臭い=ネトウヨや陰謀論者という方程式に当てはめるのは、あまりに短絡的で乱暴すぎやしないかと思うのです。
♦Wikipediaやヤフー知恵袋における「ネトウヨ」の定義
Wikipediaでは、2000年代から使われるようになった、ネットスラング。ネット上で右翼的な言動を展開する人々のことを指す。攻撃的なコメントを展開する人々全般を含むことが多い。
ネットスラングという定義が一番しっくりくる。自ら「ネトウヨ」と自称する人もいないので、単なる蔑称です。※近年、桜井誠氏が自著のタイトルに使ったのが唯一の例でしょうか?
ヤフー知恵袋にも面白い質問&回答がありました。いくつか参照したいと思います。
「ネトウヨ」ってスラングがありますが、元々右派である人がたまたまネット上で右よりな書き込みをしても「ネトウヨ」と呼ばれるんですか?
「ネトウヨ」っていうのは「ネット上でしか右寄りなことを言えない人」「ネット上では勇ましく右寄りなことは言うけど実際はノンポリな人」のことを指すんじゃないですか?ヤフーの知恵袋
まさにその通りですね。実生活において、政治的な主張をする人は極めてまれです。ネットでしか右派的なことを言えない。ネットの世界でのみ、政治的発言を気軽にできる。「ネトウヨ」という言葉の価値・使用という論点は別として、納得できる主張です。他にも、
ネトウヨの定義なんて、はっきりした物が無いんだから、正解もありません。今は一種のネットスラングとして用いられているだけです。使用目的は言論封殺。対義語のブサヨも似たような使われ方ですね。ヤフー知恵袋
こちらの方の回答も、そのままズバリ本質をついています。左派的な勢力が狙った、負のレッテル張り。つまり、言論封殺が目的ですね。
♦おわりに:「ネトウヨ」は、左派(反日)に属する人たちの「感情的」なカウンター
国の歴史教科書もそうですが、日本政府含め、日本の世論は反日的な自虐史観が一般的です。
※自虐的な歴史教科書を作る、日本の教科書検定についてはぜひこちらの記事もご参照ください。

すなわち保守的な発言が抑圧されてきた言論空間。そんな世論で主流を占めてきた左派の人たちは「びっくり」しすぎた。なんで「こんな右派的な主張がたくさん出てきたんだ??」
自虐史観・民族的史観もそうですが、「自分たちの見たいものしか見ない」という人たちがあまりに多い。特に、中韓に反論する空気は長らく日本の言論空間になく、
自虐史観はじめ反日主義者(左派)は自分たちがこうも多数の人たちから反論されるなんて…。これまで予想だにしなかった現象が起きた。
そんな彼らが現実を直視せず、「ネトウヨ」という負のレッテル張りをすることで議論から逃げた。こういうことだと思います。
歴史修正主義はじめ、負のレッテル張りをする。「あいつらはネトウヨだから。頭の可笑しな連中だから」と。
私の考えでは、「ネトウヨ」という勢力は存在自体成り立たないのではないかと思う。自分の凝り固まった意見に対し、反論することを許さないという極端な排外主義的な人間が、他者を攻撃する際に使う単なるネットスラング。
左派・反日的な発言をする民族的史観の持ち主からすれば、相手がだれであれ、自分たちに反対するものはみな「ネトウヨ」。
だれもが「ネトウヨ」と呼ばれる可能性がある。これでは言葉の範囲など存在せず、およそ言葉として成り立ちません。
「クソリプ」というネットスラングも同様です。Twitter などSNSにて、攻撃的で受けての気分を害し、思わずこちらが罵倒したくなるリプライの総称です。
相手と対話することなどまったく考えておらず、「自分の意見が正しい」と相手を何としてでも屈服させることが唯一の目的。クソリプに返信してもほんと無意味。建設的な議論に100%なりません笑。
他者を「ネトウヨ」呼ばわりする人の傾向としては、「こいつは頭のおかしい狂っている奴。自分の方が知識・見識に優れており、自分がこいつを”教化”してやらねばならないという鼻持ちならない上から目線の持ち主である」ことが挙げられます。一部識者にも当てはまる特徴です。
私は、「ネトウヨ」とされる人たちよりも、他者を「ネトウヨ」呼ばわりする人間の存在の方がよっぽど問題視されるべきだと思います。
どんな主義・主張を掲げてもよい。しかし、相手の主義・主張にまったく耳を貸さず、「そういう意見もあるんですね。勉強してみます」ぐらいのことが言えないような人は議論する資格がない。
そういう輩は、どんな立派な主張をしようがダメなものはダメ。自分の主義・主張を絶対的な「真実」とする排外主義的な危険思想とみなしてよいでしょう(了)。
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