南京大「虐殺」を否定する。関東大震災における朝鮮人「虐殺」を否定する。そしたらすぐに、歴史修正主義者といわれます。
肯定論者は「あなたは歴史修正主義者だ!」とさえ述べればそれでいいのです。相手の主張を歴史修正主義とみなせば、反論しえたことになります。
なんとも便利な言葉なのか!歴史修正主義という言葉は。
史実に基づいて反論しようが、そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!お前は歴史修正主義者であり、悪者だ!という。もはや歴史修正主義というのは、学問的な議論さえ許さない「宗教じみたもの?」なのでしょうか。
新たな史実が見つかることで歴史の見方が変わる。歴史を修正・解釈し直すことだってあり得るのではないでしょうか。
これは自然科学しかり、社会科学しかり。いま現在の理論・主義を絶対視することは、学問の発展を阻む行為であり、許されないことではないのか?
外国では歴史修正主義はどう使われているのか。確認してみました。もし日本と同様な解釈であれば、歴史学を筆頭におよそ学問が成り立たないと思うんですよね。
やはり歴史修正主義は誤解されていた!?
ジョージ・アキタ/ブランドン・パーマー氏著『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』(草思社文庫)に目を通していたら、
本書に「(歴史)修正主義とは何か」というダイレクトに答えてくれる記載がありました。アキタ氏のご紹介をすると、
アキタ氏は近代日本政治史研究の世界的泰斗であり、本書では韓国並びに日本、アメリカ含め、日本の「朝鮮統治は他の植民地支配に比べて悪逆非道だ」という一般的通念は間違っていると主張。
欧米の植民地では、飢餓で人口が半分以下になったり、宗主国の望む商業作物の栽培しかさせなかったり(近代産業育成など絶対にさせない)、非識字率も高いままで学士すら出ていない人間ばかりだったり、
手足を切断し強制労働に従事させたりすることが一般的であった。が、日本統治下の朝鮮では、飢餓など一度も起こらず、逆に朝鮮人の人口が増えている!
朝鮮人の間に、百貨店で買い物をするなど消費主義も起こった。これは朝鮮人労働者が搾取されるどころか、金銭的な余裕があったからこそ起こった現象。日本の朝鮮統治は、朝鮮人の利益にかなうものであったと絶賛しています。
そんなアキタ氏は、日本の植民地政策、戦前の対外政策を批判的に見る人たちを「民族主義史観」と名付けます。
一方、自身の立場をリビジョニズム(revisionism)と説明します。※日本語では、修正主義あるいは歴史修正主義。
アキタ氏も、本書で”(歴史)修正主義という用語に対する誤解が日本にある”としたうえで、歴史修正主義の定義を示しています。
修正主義とは”新しい史料や既存の情報をこれまでとは異なった角度から解釈する歴史学的な試み”であり、”従来「真実」として容認されてきたが、少なくとも別の観点からの見直しが必要な研究、概念、あるいは原理に対するアンチテーゼの追及”であると。
また”この「真実」なるものは、イデオロギーやナショナリズム、あるいは感情的な確信に基づくものであったり、
「物事を自分が見たいようにしか見ない」という人間の生来の習性に基づくもの”であるとも指摘し、人間である以上、絶対的な「真実」など提示できないはずだといいます。
アキタ氏は”一般的に容認され、高い評価を受けてきた研究や資料に対して軽傷を鳴らすのは、シニシズムに毒されることのない懐疑的精神”であると、(歴史)修正主義を学問的に高く評価しています。
英語版Wikipediaでも、歴史修正主義は歴史学で評価の高い手法
英語版Wikipediaを参照すると、歴史修正主義(historical revisionism)は、オーソドックスな歴史見解に対する再解釈であり、新たな史料や解釈による修正された歴史をもたらすもの。
歴史学において、修正(revision)は最も大事(lifeblood)なものである。
歴史とは、現在と過去の絶え間ない会話であり、過去の解釈は新しい史料・証拠により突きつけられた新しい疑問により変化しうるものである。ひとつだけの、永遠に変わらない「真実」など存在しないのだと述べており、アキタ氏の主張は外国の歴史学者一般の見解と同じです。
日本とは違い、歴史修正主義こそ、歴史を生命力にあふれた、有意義なものにしてくれるものであるとかなりポジティブに評価されています。歴史事象も修正し、アップデートしていくべきだとも。
たとえば、「原爆投下は戦争を早く終わらせるうえで必要であった」というオーソドックスな見方に対し、歴史修正主義は「原爆投下は必要ではなかった。トルーマンは、今後ライバルとなるだろうソ連に圧力をかけるために原爆を使用した。トルーマンは原爆犠牲者のことを無視し、軽視した」と述べます。
ともかく、歴史修正主義=相手の反論をドグマ的に封じ込める魔法の言葉、というわけではまったくありません。
日本の「歴史修正主義」は、歴史否認主義を指す
調べたところ、日本の言論空間で言われる歴史修正主義は、外国で使われる歴史否認主義(historical negationism)とほぼ同義ですね。
英語版Wikipediaで確認すると、歴史の記録に対して歪めたり、偽造したりする行為であると。アカデミックな用語である歴史修正主義と混同すべきではないとしています。
しかし、歴史否認主義の例として、安倍元首相の従軍「慰安婦」否定説が英語版で説明されていました笑。うーん。やはり、混同されているのか。これこそ歴史修正主義的な見方が必要でしょうね。
ともかく自分の主張こそが「真実」であると絶対視しないこと。この姿勢が必要であるということ。たまーに「日本が侵略戦争をしたのは、歴史的事実ですよ!日本兵はアジア諸国で赤ん坊を刀で突き殺してまわったんだ!」と主張する人がいますが、もうおかしなとこだらけですよね。
「歴史的事実」などという言葉を安易に使っている時点で、アキタ氏に言わせれば、その方はもう学問的に議論する資格のない人。民族主義史観。つまり、事実などはどうでもよく、「物事を自分が見たいようにしか見ない」人でしょう。
日本共産党は「歴史修正主義」を日本人から取り上げる?
ではいったい、なぜ日本では歴史修正主義が否定的にとらえられているのか。歴史修正主義の概念を間違って広めた犯人の一人は、日本共産党です。
歴史修正主義で検索すると、日本共産党の歴史修正主義の「定義」がトップページに。
「歴史修正主義」とは、一般に、侵略戦争や植民地支配、軍隊等による組織的残虐行為など、こんにち批判的な評価が定着している事象について評価を逆転させて支持・擁護する主張をさす用語です。
たとえば、1931年の中国東北部侵略戦争開始以後、日本が中国大陸や東南アジア・太平洋地域で起こした戦争を「自存自衛の戦争」「アジア解放のための戦争」として正当化する靖国神社などの歴史観は「歴史修正主義」の典型といえます。
また、「南京大虐殺はなかった」「『従軍慰安婦』の強制連行はなかった」といった議論や、沖縄戦訴訟での「軍の『集団自決』命令はなかった」という原告側の主張なども、それに該当するといえるでしょう。
引用元:日本共産党HP
日本共産党のうまいところは、本来の歴史修正主義の定義についても触れているところ。
”歴史学は、過去の事実を確定し、批判的に評価してそれを再構成する学問ですから、その通説が時代の変化や新たな史料の発見などによって「修正」されるのは当然のこと”だとも述べています。
しかし、日本で使われる「歴史修正主義」はそうではないのだと。であれば、日本人は、歴史修正主義を今後も使えず、現在の自虐史観を永遠に守り続けねばなりません。変えてはいけないんですから。
日本共産党は、日本人から「歴史修正主義」を奪い取り、現在通説となっている”自分たちに都合のよい歴史解釈”を一切変更させない。歴史を自分たちの見たいようにしか見ない、他人にも自分の見たいものを「真実」だと強要する。許されざるスタンスですね。
おわりに:歴史学における歴史修正主義の価値を再評価すべき
私の考えていた通り、歴史修正主義は学問的に価値のある主義・主張、物事に対する見方だったわけです。もし歴史修正主義を否定すれば、学問に発展がない。
過去の先行研究を批判的に乗り越えていく。もちろん、これまで一般に受け入れられてきた理論・法則が否定されることだってある。天動説から地動説に考え方が変わったように。
アカデミックな世界では、一般人よりも高い懐疑的精神・探求心がもとめられる。現在の理論・学説は、今後において反論され、検証を加えられていくことが常である。修正を一切認めないなどというのは、学問の世界ではなくドグマチックな宗教上の世界の話でしょう笑。
南京「大虐殺」や従軍「慰安婦」、関東大震災における朝鮮人「虐殺」など、日本のWW2における自虐史観に対して、歴史修正主義的な見方を採ることは学問的に正しい態度。
アキタ氏は、一般的に受容されている研究成果なりを鵜吞みにすることの危険性を知らせる要素の一つとして、”「白対黒」あるいは「われわれ対彼ら」のように、単純な二元論的な前提が強調されている場合”や”議論があまりにも攻撃的に展開されている場合”をあげています。
まさに日本の先の大戦における歴史認識が当てはまるでしょう。喧嘩両成敗という言葉もあるのに、「日本が完全な悪者。日本が全世界を侵略し、日本兵のみ残虐行為を働いた」など、あまりにもナンセンス。
このようなバカげた主張を当事者である日本人が率先して吹聴する。まさに文明世界の恥ともいえるのではないでしょうか(了)。
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