端的に言えば、ネトウヨの定義とは、
他者の主張に負のレッテル張りをし、言論封殺を図る言葉。2000年代から使われるようになってきたネットスラング。
以上です。
しかし、識者の意見とやらを確認すると、ピンボケしてしまいます。彼らジャーナリズム・言論界で飯を食べている人間はとかく「意味」を広げすぎる傾向にあります。
「いやただのネットスラングで、取り上げる価値のない言葉です」となれば、当然原稿料などもらえないからです。それはまあ、わからなくもないのですが笑。
ネトウヨの定義、ネトウヨの特徴、偉そうな識者やSNSでうごめく反日左翼・営業反日の人々の声をとりあげながら、ネトウヨの本質に迫ります。
ネトウヨに関心をお持ちの方はぜひお目通しいただければ幸いです。
自称・保守派の連中もネトウヨを見下している?
ある記事内(参照元:ネトウヨと保守、右翼は何がどう違うのか西部邁、中島岳志が師弟対談)で、中島岳志は、ネトウヨと保守派を区別して捉え、
ネトウヨは”保守思想にすらコミットしていない”といいます。
世間一般では、右派的な意見=保守というのが通念。ネトウヨがネガティブな意味なので、自分たちは「保守派」と定義して防御したいだけではないのか(呆)。
中島はまた、ネトウヨを「反左翼」という枠内で把握し、
”右派は自分たちの意見がメディアや教育、アカデミズムから排除されているマイノリティーであり、誰もそれを代弁してくれないという意識があった”とし、自分たちの存在空間をネットの世界に求めた。それがネトウヨの誕生であるとも。
この点は一面で正しい。しかし、「自分たちは排除されている」と考える人たちは大勢いるのではないでしょうか。
そんな彼らが、誰もが自由に匿名で発言できるネット世界で声をあげる。はたして「ネトウヨ」のみに当てはまる現象なのかな?と思います。
一方、西部邁は、ネトウヨは反知性主義とこき下ろし、ネトウヨの定義を”下品な言葉遣い、他人に対する誹謗中傷、罵詈雑言があるらしい”と定義にもならない主張を展開する。
西部の主張は、これまたネット空間で起きた一般的現象そのものを指しています。すなわち、匿名性。匿名の世界で「自分の正体を隠せる」からこそ、無責任で相手を気にせず、いくらでも攻撃的になりうる。
憂さ晴らし・ストレス発散による攻撃的姿勢、低俗な言葉の使用。誰にも注意されない。お互い罵詈雑言を浴びせているんだから、「俺だって別に構わないだろう」という認識を匿名空間であるネットの世界は増長させてきました。
西部の定義では、ネットの世界で匿名で発言するすべてのものが「ネトウヨ」になってしまいますね(?)。
こういう評論家・大学教授ら識者による無責任な「言葉の使用」こそ、注意されてしかるべきではないのか?
彼らは、「ネトウヨ」を自分たちよりも”下の連中”だとみなす。この時点でアウト。まったく学問的な姿勢ではありません。
他人からネトウヨと思われれば、ネトウヨ認定されるらしい!?
「以前の寛容だった父はもうどこにもいません。今は右派によるフェイクニュースを信じるネトウヨですよ」
「今は参政党に傾倒していて、先の統一地方選では選挙運動を手伝っていたほどです」
引用元:「寛容だった父はもういない」“ネット右翼”になった62歳の父に戸惑う36歳男性の胸中(SPA!「親がネトウヨ」取材班)
こっちでは、さらにネトウヨの定義が錯綜しています。
定年退職した父親の「ネトウヨ」化を子どもが嘆くという内容の記事ですが、ここでの「ネトウヨ」の定義がすごいです。
本特集でのネトウヨ・陰謀論者の定義は「子ども(他人)がそう感じたこと」を前提にする。ネトウヨについては「中国や韓国などのアジアの人たちをはじめ、リベラル勢、LGBTQなどのマイノリティへのヘイトを憚りなく家族や友人の前で公言する人」とする
引用元:「寛容だった父はもういない」“ネット右翼”になった62歳の父に戸惑う36歳男性の胸中(SPA!「親がネトウヨ」取材班)
これほど噴飯物の定義はいまだ見たことがありません。ここでのネトウヨの定義は、
他人がネトウヨと感じれば、それだけでその人は「ネトウヨ」なんだということです。そして、シナ・朝鮮人、リベラル勢(反日勢力)を敵視すれば、ネトウヨになるそうです。
もうこれ以上語ることすらバカバカしいですね笑。
そもそも一般的に、ネトウヨとは、匿名で発言できるインターネット空間の中でのみ、えr右翼的な発言をする人を指すのではなかったか。つまりは、小心者だ。
実生活では、そのような姿を決して見せない。実生活で、政治的な言動をすること自体が日本社会では異端視されるから。
実生活でも右派的な主張をし、選挙団体で活動もするなんて、ネトウヨには不可能だろう。ネットという匿名の世界でのみ右派的な発言をするからネット右翼なんだろうが!
もしかしてネットで〇〇な知識・情報を仕入れることを、ネト〇〇と定義している?これでは、ありとあらゆる人が何らかのネト〇〇になりはしないか?現代において、ネットは情報を入手する一媒体。
まずはネットで調べてから行動する人がほとんど。
2000年代前半にまだみられたような「インターネットの情報なんて信じられない。誰が書いているかもわからないんだから」という世間の風潮はもはや廃れ、
今では「幼少期の頃よりネットリテラシーを身に着けるべく教育すべきだ」という流れが一般的ではないでしょうか。
メディアリテラシーも同様ですね。インターネットやテレビ、新聞などのメディアを使いこなし、メディアの伝える情報を理解する能力。また、メディアからの情報を見きわめる能力のこと。
「ネットで流れている情報を知識として取り入れること=胡散臭い=ネトウヨや陰謀論者」という方程式に当てはめるのは、あまりに短絡的で乱暴すぎやしないかと思うのです。
ネトウヨというパワーワードを考えた人は、だいぶ年配のヒトなんだろうと思われます。ネット=胡散臭い情報源と見なすのは、もはやZ世代などでは考えられない。
Wikipedia,ヤフー知恵袋におけるネトウヨの定義
Wikipediaのネトウヨの定義では、
2000年代から使われるようになった、ネットスラング。ネット上で右翼的な言動を展開する人々のことを指す。攻撃的なコメントを展開する人々全般を含むことが多い。
ネットスラングという定義が一番しっくりくる。自ら「ネトウヨ」と自称する人もいないので、単なる蔑称です。※近年、桜井誠氏が自著のタイトルに使ったのが唯一の例でしょうか?
ヤフー知恵袋にも面白い質問&回答がありました。いくつか参照したいと思います。
「ネトウヨ」ってスラングがありますが、元々右派である人がたまたまネット上で右よりな書き込みをしても「ネトウヨ」と呼ばれるんですか?
「ネトウヨ」っていうのは「ネット上でしか右寄りなことを言えない人」「ネット上では勇ましく右寄りなことは言うけど実際はノンポリな人」のことを指すんじゃないですか?
引用元:ヤフー知恵袋
まさにその通りですね。実生活において、政治的な主張をする人は極めてまれです。ネットでしか右派的なことを言えない。
ネットの世界でのみ、政治的発言をする。ネトウヨという言葉の価値・使用という論点は別として、納得できる主張です。他にも、
ネトウヨの定義なんて、はっきりしたものが無いんだから、正解もありません。今は一種のネットスラングとして用いられているだけです。使用目的は言論封殺。対義語のブサヨも似たような使われ方ですね。
ヤフー知恵袋
こちらの方の回答も、そのままネトウヨの特徴として核心をついています。左派的な勢力が狙った、負のレッテル張り。つまり、言論封殺が目的ですね。
おわりに:ネトウヨは、左派(反日)に属する人の「感情的」なカウンター
国の歴史教科書もそうですが、日本政府含め、日本の世論は反日的な自虐史観が一般的です。
そんな保守的な発言が抑圧されてきた戦後日本の言論空間。戦後世論で主流を占めてきた左派の人たちは「びっくり」しすぎた。なんで「こんな右派的な主張がたくさん出てきたんだ??」と。
特に、シナ・朝鮮に反論する空気は長らく日本の言論空間になく、
自虐史観はじめ反日主義者(左派)は自分たちがこうも多数の人たちからネットの世界で反論されるなんて…。これまで予想だにしなかった現象が起きた。
そんな彼らが現実を直視せず、「ネトウヨ」という負のレッテル張りをすることで議論から逃げた。こういうことだと思います。
歴史修正主義はじめ、負のレッテル張りをする。「あいつらはネトウヨだから。頭の可笑しな連中だから」と。最後に、私個人のネトウヨの定義を語ると、
そもそも「ネトウヨ」という勢力は存在自体成り立たないのではないかと思う。自分の凝り固まった意見に対し、反論することを許さないという極端な排外主義的な人間が、他者を攻撃する際に使う単なるネットスラング。
左派・反日的な発言をする民族的史観の持ち主からすれば、相手がだれであれ、自分たちに反対するものはみなネトウヨ。
だれもがおそらくネトウヨと呼ばれる可能性がある。もはや言葉として成り立ちません。
「クソリプ」というネットスラングも同様。Twitter などSNSにて、攻撃的で受けての気分を害し、思わずこちらが罵倒したくなるリプライの総称です。
相手と対話することなどまったく考えておらず、「自分の意見が正しい」と相手を何としてでも屈服させることが唯一の目的。クソリプに返信してもほんと無意味。建設的な議論に100%なりません笑。
他者をネトウヨ呼ばわりする人の特徴として「こいつは頭のおかしい狂っている奴。自分の方が知識・見識に優れており、自分がこいつを”教化”してやらねばならないという鼻持ちならない上から目線の持ち主である」ことが挙げられます。
私は、他者をネトウヨ呼ばわりする人間の方がよほど問題視されるべきだと思います。
どんな主義・主張を掲げてもよい。しかし、相手の主義・主張にまったく耳を貸さず、「そういう意見もあるんですね。勉強してみます」ぐらいのことが言えないような人は議論する資格がない。
そういう輩は、どんな立派な主張をしようがダメなものはダメ。自分の主義・主張を絶対的な「真実」とする排外主義的な危険思想とみなしてよいでしょう(了)。
コメント