教科書検定は検閲なのか 裁判所の判断は?なぜ反日主義的な教科書となる?②

時事問題
写真はイメージ ©すしぱく

前回の記事では、教科書検定が検閲に該当し、違憲ではないか。その点に対する裁判所の見解を紹介しました。

教科書検定は、検閲でなく、教育に対する不当な介入にも当たらないとの判断。合憲である。しかし、国家による教育内容への介入を絶対禁止とする。

現在の教育基本法第10条(家庭教育)にある通り、教育の第一義の責任は親が持つ。国家はその支援しかできない。

教科書検定も、義務教育の性質のため、一定水準のレベルを担保する必要があるから認めているだけ。ですが、できるだけ制限するべきとのこと。

では、その制限の実態を確認したいと思います。具体的には、文科省の検定基準を明らかにし、検定基準の問題点、学校の教科書の記載=国の公的見解なのか、検証していきます。

文科省の検定基準とは

文科省のHPでは、教科書検定の意義や必要性を次のように説明します。

我が国では、学校教育法により、小・中・高等学校等の教科書について教科書検定制度が採用されている。教科書の検定とは、民間で著作・編集された図書について、文部科学大臣が教科書として適切か否かを審査し、これに合格したものを教科書として使用することを認めることである。

教科書に対する国の関与の在り方は、国によって様々であるが、教科書検定制度は、教科書の著作・編集を民間に委ねることにより、著作者の創意工夫に期待するとともに、検定を行うことにより、適切な教科書を確保することをねらいとして設けられているものである。

小・中・高等学校の学校教育においては、国民の教育を受ける権利を実質的に保障するため、全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などが要請されている。文部科学省においては、このような要請にこたえるため、小・中・高等学校等の教育課程の基準として学習指導要領を定めるとともに、教科の主たる教材として重要な役割を果たしている教科書について検定を実施している。

要約すると、教科書はまず民間の出版社・著作者が創意工夫のもとに作る。裁判所の言うとおり、国は教育内容への介入はダメ。裁判所は思想内容に対する介入はダメともいいます。あくまでも「一定の教育水準」を保つために行うもの。

ここで気になる点は、”適正な教育内容の維持、教育の中立性”です。どのように担保するのか。

検定基準は教育基本法第2条に違反?

裁判所は、権力的介入はダメ。検定審査は、誤記・誤植。客観的に明らかな誤り、読みやすさとか、教育課程の枠内での助言にとどまりなさいよ、という姿勢。

ならば、文科省は教科書検定において具体的な基準をどう定めているのか。文科省のHPにしっかり記載しておりました。

義務教育諸学校教科用図書検定基準。かんたんに重要な点をまとめたいと思います。

法律の根拠としては、教科用図書検定規則第3条、学校教育法第34条第1項をあげます。

第3条(検定基準) 教科用図書(以下「図書」という。)の検定の基準は,文部科学大臣が別に公示する教科用図書検定基準の定めるところによる。

第34条 小学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。

第34条は、中学校・高校にも準用すると学校教育法の他の条文にありました。

具体的な基準内容としては、義務教育諸学校教科用図書検定基準を参照しました。

高校も、高等学校教科用図書検定基準がありますが、ほとんど義務教育の検定基準と変わりません。ここでは義務教育、つまり小中学校の検定基準を見ていきます。

検定基準の総則はまあご立派そのものです笑。

生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間とか。公共の精神を尊び、我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人の育成を目指すとか。

検定基準は、教育基本法、学校教育法及び学習指導要領に示す目標を達成するために審査するってことらしいです。教育基本法は「教育の憲法」とも。個人の尊厳とか、公共の精神が大事とか。そんなお題目です。

ですが、教育基本法第2条(教育の目標)には、”伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと”とあります。

反日主義的な教科書が氾濫し、”日本人は虐殺ばかりする野蛮民族”との記載が目立つ。そのような教科書で「我が国と郷土を愛せるのか」と大いに疑問です。

反日主義的な歴史教科書は、検定基準をまったく満たしておりません。現在の教育基本法に沿っていないからです。

検定基準は大きく二種類ある

教科書検定の検定基準は、大きく「教科共通の条件」と「教科固有の条件」があります。

教科共通の条件もいくつもありますが、気になる点は次のところ。

(政治・宗教の扱い)
政治や宗教の扱いは、教育基本法第14条(政治教育)及び第15条(宗教教育)の規定に照らして適切かつ公正であり、特定の政党や宗派又はその主義や信条に偏っていたり、それらを非難していたりするところはないこと。

(選択・扱いの公正)
話題や題材の選択及び扱いは、児童又は生徒が学習内容を理解する上に支障を生ずるおそれがないよう、特定の事項、事象、分野などに偏ることなく、全体として調和がとれていること。

図書の内容に、児童又は生徒が学習内容を理解する上に支障を生ずるおそれがないよう、特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと。

(特定の企業、個人、団体の扱い)
図書の内容に、特定の営利企業、商品などの宣伝や非難になるおそれのあるところはないこと。図書の内容に、特定の個人、団体などについて、その活動に対する政治的又は宗教的な援助や助長となるおそれのあるところはなく、また、その権利や利益を侵害するおそれのあるところはないこと。

引用元:義務教育諸学校教科用図書検定基準

一面的な見解は、文科省が検定不合格理由によく使う文言です。自虐史観はOKですが、”日本国憲法はGHQの強制である”などは×になります。

特定の団体とは、主に中国・韓国を指し、彼らの権利や利益を侵害してはいけない。そのように読み解くと解釈しやすくなります。

現在の教科書検定の検定基準は裁判所の判例から大きく外れていると言わざるを得ません。一方的な歴史観を認め、日本の子どもたちのための教育ではなく、外国政府の権利や利益を優先しているわけですから。

大問題は、教科固有の条件です。国語科、算数科などすべての科目にありますが、異彩をはなっているのが社会科です。一部を抜粋すると、

未確定な時事的事象について断定的に記述していたり、特定の事柄を強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと。

近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示されているとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること。

近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。

引用元:高等学校教科用図書検定基準

高校では、この近隣諸国条項が地理歴史科と公民科に入っています。

近隣諸国条項で、歴史教科書は大きく歪んでしまった

文科省は、教科書検定に対し「専門的・学術的に審議」されると同HP上で述べておりながら、社会科(歴史・公民)では、近隣諸国条項として、中国・韓国の「気持ち」に対する配慮を検定基準に含めております。

文科省の検定基準に対するダブルスタンダード。学術的な議論よりも、中韓の気持ちを優先する。だから、朝鮮人や中国人の日本人に対する虐殺などは絶対に書きません。

たとえば、関東大震災における朝鮮人「虐殺」。実際は、強姦・略奪・放火を繰り返したのは朝鮮人であり、日本人が被害者。当時の新聞報道からも明らかです。しかし、近隣諸国条項に抵触するので書けないのです。

私の知人の韓国人の祖父は「関東大震災は、日本の女を好きなだけ強姦して回り、泥棒もし放題。革命歌も歌い、あれほど痛快なことはなかった笑」と。祖母は震災の数年後に渡日し、「朝鮮人虐殺など聞いたこともない。日本女性が(強姦など)被害にあったと思う。加害者は朝鮮人だよ」「もし朝鮮人が虐殺されていたら、怖くて日本に出稼ぎに来るわけがないだろう」

近隣諸国条項は1982年に導入。「日本の歴史教科書は右傾化している」と中国・韓国から1982年にクレームが入り、外務省は完全敗北。文科省は、高度な政治的判断のすえ、彼ら中韓の意見をそのまま受け入れました。

1982年の中韓の苦情により、もはや無国籍状態と化していた日本のメディアは、中国籍・韓国籍のメディアとなった。彼らの意向を常に気にし、忖度しながら歴史教科書を作る。そうしなくては、検定に合格せず教科書として採用されない。

山川出版社や東京書籍は許せない!と主張する方は多いです。しかし、彼らは商業出版社。近隣諸国条項がある限りは、反日的記述を基準とするのは当然。出版社側に責任を押し付けるのはおかしいと思います。

最高裁の主張する「正確性」を無視する近隣諸国条項

最高裁判例では、「政治や宗教について立場が公正であること」を絶対条件の一つとし、「学年の児童・生徒の心身の発達段階に応じて、内容の程度などを配慮すべきこと」を必要条件の一つにしています。

特に後者は、小学生に「虐殺」「強姦」「慰安婦」などは、過激すぎて、まだ教えるには早すぎるということです。

また正確性も必要条件の一つ。正確性とは、誤りや不正確なところはないか、一面的な見解だけを取り上げている部分はないか、ということ。

文科省の言う、「一面的な見解だからダメだよ」という修正要求はこの最高裁判例に依拠しています。

しかし、実態は近隣諸国条項により、歴史教科書は正確性や政治的公正の点で非常に歪められています。一面的な見方のオンパレード。朝鮮併合に関しても、朝鮮人の革命勢力などの協力あってこそなされたものです。まったく触れられていません。

実際に、大東亜戦争では多くの朝鮮人、アジア諸国の人々が日本の戦争に積極的に協力しました。しかし、そのような記述は一切載せません。近隣諸国条項(検定基準)なのか、あるいは他国の尊重(教育基本法第2条)のためでしょうか。

学校の教科書の記載内容=国の公式見解か?

最後に、検定を通過した歴史教科書=国の公式見解であり、歴史的事実なのかという点。間違いなくノーです。国家・文科省にそのようなお墨付きを与える権限はない。

教科書は民間の出版社が作るもの。国は最低限の介入しか許されていない。思想内容(左翼・右翼など)への介入はそもそも×。

要するに、学校の教科書の記載内容は、民間団体の一主張という扱い。だからこそ、何百もの教科書が氾濫し、数十社の出版社がそれぞれ科目ごとに作っているのです。

繰り返しますが、国家・文科省は基本的に教育内容への介入は許されていません。

ましてや、1982年以降は、近隣諸国条項も導入され、学術的・専門的な審議より、中国・韓国政府の意向が反映されるようになった。

正確性に関してますます疑義が呈されます。国の教育内容への介入は絶対ダメだといった最高裁が、他国政府の介入はOKなどと主張することは考えられない。現在の文部科学省検定済教科書はほとんどが最高裁の判例に違反していると言えるでしょう。

おわりに:教科書検定の未来を語る

教科書検定における検定基準を直接定めた法律はありません。しかし、教育基本法や学校教育法の趣旨に合致するように定められなくてはいけません。また内容が学問的に正確であるか、その点も重視しなくてはいけないと最高裁も述べております。

最高裁は、正確性に関し、学界における客観的な学説状況、通説・定説として学界に広く受け入れられているか、異論がある場合は両論併記する必要もあるなど述べております。学問的研究の進歩により、史実が変わることもある。

歴史教科書は、教育基本法第2条で少し述べられていますが、愛国心の育成、国民精神(ナショナリズム)の育成を第一に作られるべきものだと考えております。

世界価値観調査で、「戦争が始まったら国の為に戦うか?」という質問に対して、日本は、「はい」の比率がたった13.2%、世界79か国中、ダントツのワーストワン。ワーストツーのリトアニアでさえ32.8%もあります。異常な低さです。

このような状態をもたらした原因の一つは、間違いなく、学術的正確さを無視して、他国の歴史観を受け入れた近隣諸国条項。

自虐史観を作り続けてきた文部科学省検定済教科書にあるでしょう。ウクライナ国民のように、有事の際に「戦える国民」でなくては、国際社会で生き残れません(了)。

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